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小池創作所代表・小池一三のブログです
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阿武隈川から海へ500億ベクトル
今朝(11/25)の朝日新聞東京版に、「阿武隈川から海へ500億ベクトル」という見出しの記事がありました。本来なら一面トップに来るべき記事なのに、囲み記事扱いでした。

この記事は、京都大・筑波大・気象研究所などの合同調査に基づくもので、福島県中央部を流れる阿武隈川から海に流れ出る放射性セシウムの量が、一日あたり約500億ベクトルにのぼることを明らかにしたものです。

500億ベクトルという数値は、東京電力が4月に海に放出した低濃度汚染水のセシウムの総量に匹敵します。それを毎日放出しているというのですから、これは大変な量です。記事によれば、この汚染水の9割以上は浮遊する粘土などの微粒子に付着した分だということです。
降雨などで少しずつ流れ続けての結果ですが、除染の結果、流れ出しているものも少なくはなく、結局、除染は移染に過ぎないことを示していると見ざるを得ません。

海洋汚染は、国際的に問われることなのに、小さな話のままでいいのでしょうか。
# by sosakujo | 2011-11-25 10:31
ターシャ・チューダーの四季の庭
夜中に起きて原稿を書く習慣が続いていますが、ぼくはテレビを見ながら書く癖があって、お気に入りはBSプレミアムです。今夜は庭の達人というべき、絵本作家・ターシャ・チューダーの四季の庭「喜びは創り出すもの」を放映していました。再放送で、前に見たいと思って見ていなかったので、失ったものが戻ってきたようで、得した気分になりました。

それにしても、この老婆はスゴイですね。
ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)は、46歳で離婚し、50歳代半ばからバーモント州の小さな町のはずれで自給自足の一人暮らしを始め、広大な庭で季節の花々を育てます。
彼女の曽祖父は、ミネラル・ウォーターで財を築いたフレデリック・テューダーです。
彼女の庭は、富豪の娘だったからやれたこと、という見方がありますが、富豪の娘ならだれもができることではなく、それは彼女のシチュエーションの一つであるとしても、彼女の庭の魅力は、何より彼女の生き方を映し出していることにある、と思いました。

ターシャは、土を感じたいからと、夏の庭をハダシで歩く場面がありました。蛇が出没するというのに、スタスタと歩き回ります。この自由さ、奔放さ・・・。
庭だけでなく、「コーギー・コテージ」と呼ばれる建物も、暖炉やベッドとロッキングチェアー、身近な紅茶のカップに至るまで、質素でありながら上質で、ものを大切に扱う毎日の生活がそれを生んでいると思いました。

ターシャは、この番組収録のあと、2008年6月18日になくなりました。享年92歳。
6月は、ターシャの庭が最も輝く月だと番組で紹介されていました。亡くなった後に起こったことは、広大な土地などの遺産をめぐり、親族間で訴訟が起こされました。あの庭はどうなるのだろうと思われました。
けれど、それがどうであれ、ターシャ・テューダーの生き方は、多くの人に受け継がれると思います。
この番組から、ぼくはものづくりで肝心な姿勢を教えられました。
とても爽快な気分です。


先週は一週間まるまる旅に出ていました。
大阪港から船で立ち、翌朝8時に志布志港に着き、宮崎・鹿児島・熊本・福岡・北九州・広島を回ってきました。

今回の旅は、一つは撮影の立会いのため、今一つは町の工務店ネット恒例の「爆裂ツアー」に同行することなどで、「爆裂ツアー」では六つの建物を見て回りました。
鹿児島の「現代町家」モデルは、このプロジェクトの現在の到達点を示すものに仕上がっていて、参加者の興奮を呼びました。
熊本はミズタホームの3年前に建てられた家と、新しいモデルハウスを見ました。学ぶところ多く、それについては別に原稿で書くことにします。
福岡では、悠山想の仕事を見ました。木を木で繋ぎ、湿式の土壁を一貫して追求されてきた宮本さんの真骨頂を見ることができました。八女星野の棚田に建てられた家は、殊に印象的でした。

見て回って感じたことは、それぞれの仕事はターシャと同じように、それぞれの生き方を映し出していることでした。感銘喪失の時代にあって、みんな丹念に、ていねいに仕事をされていました。

今週は事務所にいて、来週は茨城の山に入ります。
# by sosakujo | 2011-11-22 04:11
除染は移染
このところ、毎週3日以上、出張が続いています。
今週は日曜日に家を出て、昨夜戻りました。月曜日に、つくばに入り、小玉祐一郎さんと一緒に茨城県の関係者とあれこれ打ち合わせました。

10:30につくばを出発し、市川かおりさんによる、趙海光さんの自宅マンションの改修写真撮影に立会い、そのあと、六本木のミッドタウンで開かれた「グッドデザイン賞」の審査講評会に行きました。「びおハウス」が、審査講評の対象になるということで、それは聞かないわけには行きません。講評は難波和彦さんで、一つ一つ俎上に乗せ、かなり辛口の評もありましたが、びおハウスは、まあ穏当な批評でありました。そのあと、郡裕美さんと村田直子さんと六本木の小さな居酒屋、めまぐるしい一日でした。わたしは早めに退散しましたが、二人は深夜までやったようです。

翌日は、遠野に入りました。
C.W.ニコルさんと天野礼子さんが、遠野の「馬付住宅(設計/永田昌民)を見たいということで、ご案内しました。
新幹線で新花巻に降り立ち、釜石線が来るまで1時間待ちました。のんびりした時間が与えられ、また、のんびりした鈍行列車に揺られて遠野に入りました。紅葉の盛りを過ぎていましたが、秋深くの遠野は静かでよかったです。
ランドスケープの田瀬さんは、ここで米や豆をつくり、味噌をつくっておられ、食材に供されて、おいしくいただきました。テレビも、新聞もなく、余分なことに頭を使わなくて済むのがよかったです。ニコルさんは、焼酎を飲んで幸せそうでした。夜1時ごろまで、何だかんだの話し合い。

帰りに遠野の駅で新聞を買って、読みました。
除染のこと、PTT.ベトナムとの原発調印の記事などが出ていて、「どじょう首相」は、何事も黙々とやってのける人なのだ、との認識をつよくしました。今朝の朝日新聞では、年内に消費税の道筋をつける動きが急とのこと・・・。

遠野は、三陸海岸の復興前線基地で、物資も、新聞記者も、ここを起点にして動いています。
福島は遠いけれど、原発問題は、こちらの人の意識のなかに鉛のように重くあることが分りました。

除染は、移染だと喝破したのは池澤夏樹です。
除染した土を山に運ぶといいます。コンクリートで固められるわけではありませんので、雨が降ると流れ出します。自然界に存在しない放射性物質は、そうして海へと「移染」されるのです。
原発の稼動再開は、そう簡単なことではないのに、事態はそちらに向けて刻々と動いています。
問われているなぁ、と痛感しています。

貿易自由化が、日本の農林業をいかに壊したか、その現実とずっと向き合ってきましたので、今度のPTTは、慎重であるべきと考えています。農地を10倍にして強くする、と言われていますが、それは凄まじいまでの農家破壊の果てにあることで、実に険しい話ですね。

この日、木枯らし一番があちらこちらで吹きましたが、政治は冬に向かっているようです。
# by sosakujo | 2011-10-27 17:14
朝早い時間の国際放送
朝早い時間の国際放送を聴きながら原稿を書いたり、本を読んだり、時にはDVDを見ていたり(観るより、聴いている時間の方が多い)するのが、わたしの深夜から朝に掛けての過ごし方になっています。

今朝はリビアのカダフィのことが 報道されていました。BS1の映像は、イギリスのBBC、フランスのBFMのニュース映像をそのまま放映するのですが、事件直後ということもあり、かなり生々しい映像が出ていました。これが7時以降の一般放送では編集された映像になりますが、まあ、早起きは三文の得があるというところでしょうか。

カダフィは、配水管に隠れていて引きずり出されたのですが、「ネズミどもをやっつけろ!」と演説をぶっていた当の本人がネズミのように、配水管をはいずっていたわけで、歴史は何とも皮肉なことをするものだ、と思いました。
# by sosakujo | 2011-10-21 10:03
八溝ヒノキ厚板の使い回し
先日、建築家趙海光の自宅マンション改修事例を見る機会が得られました。
築後30年を経たマンションです。

趙さんは大学卒業後、『「秋葉原」感覚で住宅を考える』で知られる石山修武さんの事務所に勤められました。このマンションは、その事務所時代に建てられたもので、随所に、伊豆松崎町の建築物のような、あの「石山風」が見られました。

このマンション改修は、西の大阪では吉野材を用いたマンション改修(設計/益子義弘・河合俊和)を、東では茨城県から産出される「日光八溝材」を用いての取り組みになりました。街の工務店ネットの、マンション改修の事例を生むことと、戸建インフィル展開法をはかるための取り組みの一環のものです。

西のそれは、益子さん・河合さんということもあり、精緻に長けたもので、吉野材の魅力が如何なく発揮されるものになりました。
これに対し、東の趙さんのそれは、新しく開発された「日光八溝材」のヒノキ集成板材と、厚さ3センチ、巾21センチのヒノキ厚板の使い回しをテーマにする、骨太な展開になっています。

日光八溝山系のヒノキ材は、国産のヒノキ産地の北限をなし、平均気温が低く、雨量が少ないため、年輪幅が一定で通直な材多く、薄桃色の光沢を有する良材です。その良さは、この山系がまたがる茨城・栃木・福島で知られているものの、近隣の東京、埼玉、神奈川でもあまり知られていません。

ヒノキの厚板は、吉野にも木曽にもあります。師匠の奥村昭雄さんの木曽三岳板倉山荘の厚板は、木曽五木の一つサワラです。木曽ではヒノキは売るもので、地元ではサワラが板材として用いられていました。奥村さんは、その板倉を買い取って、山荘を造られたのでした。

吉野も木曽も、ヒノキ厚板となると高くて手が出ません。九州はスギが多く、わずかに対馬ヒノキがありますが、樹齢を重ねた材はほとんど伐採されてしまい、細いものが多くて厚板利用に向いていません。その復活をだれよりも願いますが、対馬ひのきの特性を生かし、当面は土台に用いたらどうかと提案しています。
わたしの地元の天竜にもヒノキはありますが、主流はスギです。
八溝のヒノキ厚板も、それなりにコストが掛りますが、比較すると割安です。

ヒノキの厚板は、それ自体、とても贅沢なものです。圧倒的な質感があります。香りの良さは他に代えがたいものがあります。日本の材の王様というにふさわしいものです。

厚板利用の難点は、ぶてっとしたデザインになりがちな点です。ヨコ板の落とし込みの手法もあるが、枠がほしくなり、重たくなってしまいます。

今回の趙さんのデザインは、構造がRC造で狭い空間での展開にならざるを得ませんでした。コンクリートの天井・壁・床を穿つことを避け、また枠材を設けないでタテに自立させる手法が採られました。そのためなのか、厚板なのに抑制が利いていて、伸びやかな空間を生んでいます。建築の悪条件が、思っても見ない好結果を押し出す例の一つになりました。

スケルトン&インフィルといいますが、だれもスケルトンには目が向くものの、インフィルは、置き去りにされがちです。インフィルは変化するものなので、どうかすると薄っぺらな造りになってしまうのです。間仕切り壁の素材は、いいところ三層合板で、ムク材利用は少ないのが実情です。そこに厚板のヒノキを用いたら、意外感があっていいと思いました。

このインフィル材は、数十年後のリフォームで再利用できます。
大黒柱や梁材の再利用は少なくありませんが、内装材の再利用はこれまで見られません。昔(借家が多かった時代)は、引っ越しに際して、建具や畳まで運んだものでした。スケルトンを売却するなら、この厚板は取り外し、新しい家で再利用するのも悪くありません。

西欧人は「この椅子はおばあちゃんが坐っていた椅子」だといって大切にしますが、厚板を代々引き継ぐというのは日本的でいいと思います。100年~150年、いや200年使い回すことを考えると、コストは、むしろ安いものです。

山にとっても、厚板は石数が増えるので、非常に好ましいことです。

しかしそのためには、新築時にそういう造りにしなければなりません。床も天井も傷めず、厚板を自立させる方法を編み出さなければならず、趙さんのデザイン成果をもとに、あれこれ検討を重ねているところです。ここ数日で分かったことは、ヨコ板にしても、すっきりした使い方ができる手法が見えてきたことです。
おもしろくなりそうです。

このことは、11月号の親権ハウジング『プラスワン』に、写真入りで書きました。この原稿は連載でやっていますので(もう41回になります)、これからも、このテーマを追うことにします。
# by sosakujo | 2011-10-21 05:09