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小池創作所代表・小池一三のブログです
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会津喜多方、一の木 藤巻集落
ばんだい東洋建設の相原さんから、ずっと前から言われながら行きそびれていた、冬の会津訪問をついに実現しました。相原さんが用意されたプログラムは、冬の会津でも格別の場所でした。
喜多方市は、最近の町村合併によって周辺の村落を集めていますが、一の木 藤集落巻まで足を延ばすと、喜多方の匂いはもうありません。一の木 藤巻集落は、飯豊山の麓の村で、豪雪で知られます。58豪雪のときは、道が閉ざされて陸の孤島になり、ヘリコプターで物資が運ばれたといいます。
この日の相原さんは、愛車のセルシオではなく4WDを駆っていました。雪の坂道を上がるには、これでないとダメだといいます。この日の宿所である「いいでの湯」を先に進むと、赤い文字で通行止と表示された大きな看板が立っています。相原さんは、これを無視してずんずんと奥へ進みます。道は川に沿って高度を上げるのですがガードレールがない場所もあり、雪崩の心配がある急勾配の傾斜地も少なくありません。
一昨年、北越塩沢にある鈴木牧之(すずきぼくし)の記念館を訪ね、いろいろ調べたことがありました。雪の川と木々の枝に積もった雪の光景は、鈴木牧之が描いた『北越雪譜』の挿し絵に出てくる世界がそのままありました。
翌日の午前、今も藤巻集落に住んでいる人、前に住んでいた人など7人が集まってくれました。藤巻集落の人の名前は、みんな小椋の姓です。この姓は木地師をルーツら持つ人のもので、果たしてこの村は元和3年(1618年 徳川二代将軍徳川秀忠の時代)に木地師によって開村された歴史のある村でした。周辺の山はブナの木が多く、栃や楢、朴の木などが豊富に樹生しています。
この話に及んだら、荒型のものと、ろくろで仕上げられたお椀、その道具の数々、近江国小椋庄筒井公文所の巻物や鑑札札など、この村の「お宝」が続々と出てきました。
荒型は一束240枚で、木を伐り基形にするまでは男の仕事、お椀の中を彫るのは女の仕事とされ、腕のいい女性は2日で一束仕上げたといいます。足の指に挟んで、くるくる回しながら作業をしたと動作を入れてみせてくれました。
藤巻集落からは縄文土器が出土しています。縄文人は、いい風はあるけれど風害がなく、いい水はあるけれど水害のない土地を選んで住んでいますから、ぼくは、縄文人が住んでいたということは、そのまま住み易い土地である証明だと話したりしました。やがて稲作が入ってきて、住人は平地に降りてしまい、そして何千年かを経て、今度は木地師が入ってきて集落を形成したというのが、どうやらこの村の成り立ちのようです。
藤巻集落には、今九つの家が残っていますが、住人の大半は70歳を超える高齢者で、このままでは早晩亡び村になるのでは、と相原さんはいいます。この村に人が一番寄ったのは先の戦争中で、疎開の人達が加わって98人を数えたといいます。日本が高度経済成長をむかえる前までは、小学校の分校に18人の生徒がいたといいます。現在、分校は廃校になり、麓の一の木本校全体の小学校の生徒は6人、先生が7人という構成です。藤巻集落の隣村、川入は廃村になり、人がいなければ除雪されませんので、冬の道は閉ざされていました。補装道路になったのはごく最近で、「二、三年までは砂利道だった」と相原さんはいいます。藤巻集落の家は九つ。そのために敷かれた舗装の道です。これ以上、道路といってもムリがあるわけで、だからここに「そばの里」をつくりたいと相原さんは考えています。そこに営みがあれば、人は寄ってきて村は亡びません。
このあたりは「そばの里」を名乗るところが多いのですが、日本のそばの8割は輸入されていて、「そばの里」のそば粉の袋が中国製だという噂もあって、日本の縮図をそこにみます。「ここで作られたそばを、あさぎ大根をおろして食べたら最高」だと相原さんはいいます。ぼくは前に会津高田で、あさぎ大根のおろしでそばを食べたことがあります。辛いけれど独得の風味がありました。
あさぎ大根は、ふつうの大根に比べて抗がん性物質を26倍も持っている健康食品です。これを「練りわさび」のように、練り物か粉末にしてそば汁に混ぜるとおいしく、自然食品店から売り出したら、ひょっとするとヒットするかも知れません。
寄り合いでは、藤巻そばの種が保存されているという話がでて、藤巻集落は日中夜間の寒暖の差が大きく、そばを栽培する適地とのことでした。おれは蕎麦屋のオヤジになると言い出す人(今はメガネ屋さん)もいたりして、場は大いに盛り上がりました。
何故、相原さんがそれほどに入れ込むのかと思う人がいるでしょうが、相原さんの奥さんは、何を隠そう藤巻集落出身なのでした。
帰りの車のなかで、木地師は小椋姓と大蔵姓があり、両者は親戚かも知れない、飯田の大蔵さんのルーツも木地師だから、ひよっとすると相原さんは大蔵実さんとは遠い親戚なのかもね、などと勝手に想像したりしました。ぼくの母親の実家は瀬戸の加藤姓で、先祖は瀬戸物をヨーロッパに輸出しようとして難破したとかで、かの陶工加藤唐九郎は遠い親戚だと教えられて育ちましたが、そういうのって、想像を逞しくさせてくれて、結構愉しいものです。写真に残る唐九郎と、自分の骨相、目の細いあたりの感じなど似ているのかもと思ったりして……。
木地師のことはこれからよく調べて、藤巻の話と一緒に、いずれくわしく本に書こうと思っています。
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by sosakujo | 2008-02-19 09:28
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