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小池創作所代表・小池一三のブログです
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今年のオケラ参り
あけましておめでとうございます。
今年の年賀状は、この文章をしたためました。

新年、あけましておめでとうございます。

今年の正月は京都で過ごします。
少年の頃、八坂神社にオケラ参りに行くのが毎年
の慣わしでした。
神社に奉納されたオケラ木を焼いた「オケラ火」で
お雑煮をつくると新しい年の無病息災が約束され
る、というのです。「オケラ火」がついた火縄をクル
クルッと回しながら家に持って帰ります。
歩いていると、遠くに近くに、除夜の鐘が聞こえま
す。知恩院の大鐘が、それと分かる大きな音色で
主調音をつくります。小さなお寺の小さな鐘の音が
可愛くて、友達とぷすっと笑い合ったのを昨日のこ
とのように思い出します。
年越しの鐘から、年明けの鐘へ。みなさまのご健
康とご多幸をお祈りします。
2008年元旦


  暮れの事務所でこの年賀状を書いていましたら、スタッフから今のオケラ参りのことを書いて、といわれました。それで、四条烏丸の宿屋からいそいそとオケラ参りに出掛けましたが、四条河原町あたりまで来たら異常な状態にあることが分かりました。人、人、人の波。四条通りは「歩行者天国」になっていました。鴨川を渡り川端通りまできたら、数台のパトカーが赤いライトをぐるぐると回転させていて、救急車が行き交い、どういうわけか消防自動車まで出動しています。そのどれもが回転灯を明滅させて、騒然とした雰囲気でした。
  一力茶屋から向こうは、道路いっぱいに参拝者が溢れて、身動きがとれません。これに従っていたら夜が明けてしまうと思い、間道を通って東大路通りに出ました。東大路通りも人が溢れていました。それで少年の頃の通り道だった、産寧坂から通じる東側の入口(裏口)へと回り込みましたが、こちらは警棒を手にした警備員が睨みを利かせて、入口を塞いでいました。ここからは入場できないと言います。それで致し方なく、一端円山公園に向かって北側に迂回し境内に入ろうと試みましたが、こちらも参拝者が溢れて立錐の余地なく、身動きがとれない状態にありました。
  オケラをぐるぐる回して戻ってくる人をたまに見掛けるのですが、物珍しそうに「あれ何や?」と言い出す娘たちがいて、ぼくの叙情的な記憶は吹き飛びました。記憶を振り返ったら、あの光景はぼくにとっては昨日のことのようでしたが、もう40年も前のことだったことに気づきました。
  あの頃は人が少なくて、「八坂はん」の火をいただき、帰路に着く人たちはみんな、オケラをぐるぐる回していたのでした。底冷えの京都の年越しは、きつい寒さのものでありましたが、「八坂はん」に向かう人も帰る人も、口からハアハアと白い息を吐きながら、しかし穏やかな空気が流れていました。
  あのときに比べると、この騒然は何なのだ! 今の人は、みんなで年越しの「八坂はん」を貧しく消費しているのではないか? 何もかもが忙しないのです。パトカーの拡声器の声が大きく響き、警備員があちらこちらに立ち、まるでサッカー場に向かう観客のような感じでした。
  除夜の鐘さえそれに掻き消されて、ぼくはつよい不快を覚え、とうとう「八坂はん」の境内に入ることを諦めました。
  それで丸山公園からいも坊や湯豆腐を食べさせる料亭前を通って知恩院へと回り、そこから坂を下って白川に出て、三条大橋を渡って先斗町に回り「はまゆう」という名前の喫茶店でお茶を飲んで、宿屋に戻りました。
  結局、「八坂はん」の外側をぐるりと回るだけになりました。若い頃なら、何が何でも境内に入らずにおくものかと思ったでしょうが、ムリしないで過ごすことも大事だと考える年になり、そういう自分に合ったオケラ参りだと思うことにしました。悠々として、のんびりと行け、ということでしょう。
  今年もよろしく。
by sosakujo | 2008-01-03 13:14
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