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ぼくは魯迅先生を偉い人だと思っています。それで魯迅の出生地の紹興を訪ね、記念館は、この紹興のほか、北京、上海、広州のすべての記念館を訪ねています。むろん、仙台の街に行くと、『藤野先生』の話をいつも思い出し、何故、魯迅が文学を志したかに思いが及びます。
紹興の記念館は、旧居・祖父の家・三味書屋・陳列庁と、四つの建物から構成されていて、さすが魯迅の生まれ故郷ならではのスケールと言えるものでした。紹興は、女性革命家秋瑾(しゆうきん)が生まれ、活躍した街でもあります。秋瑾は、日本にも留学した人で、革命と婦人の解放に奔走して、33歳の若さで処刑され、短い生涯をおくった女性です。非常に激越な性格の持ち主で、東京での秋瑾は、和服姿に日本刀をいつも携えていたといいます。 紹興の記念館に、この秋瑾の写真がありました。凛とした気品を漂わせ、大変な美貌の持ち主です。秋瑾は、論争相手と意見が食い違った時に、激昂のあまり短刀をテーブルに投げつけたといいますが、こいうい女性に短刀を投げつけられるなら諦めがつくと思わせるチカラが、この写真にありました。 魯迅も秋瑾から短刀を投げつけられた一人でした。さすがの魯迅も辟易としたのではないかと思いましたが、しかし魯迅は処刑された秋瑾を、愛惜を込めて「薬」という小説に書いています。小説では男性として扱われていますが、名前の夏瑾から分かるように、明らかに秋瑾です。きれいな人は得だな、ということもあるかも知れませんが、秋瑾はそれだけでないものを秘めていたように思います。詩人もそうですが、若いまま、美しいままで亡くなった人は、そのままで人々の脳裏に記憶されるので、醜く老いるよりも、それはそれで幸せです。ちなみに武田泰淳の「秋風秋雨人を愁殺す」は、この秋瑾の伝記小説です。 さて、魯迅の生家は裕福な官僚地主の家で、紹興でも指折りの名家でした。 その家の道路と水路を隔てて、三味書屋という建物があり、それも記念館として残されています。この建物は、魯迅が子どもの頃に通った小さな私塾です。小さな、というのには意味があって、大勢の人が学ぶ場を必要としていなかったのです。魯迅の家は代々中央の高官を輩出する家でしたが、それはごく限られたエリートの世界であって、「秀才」は作られるものでもあったのです。 魯迅の生家は大層立派なもので、一見大店(おおだな)を思わせる造りでしたが、中央官吏の故郷の家であったわけで、官吏が持ち得る、その絶大な資力というものに今更ながら驚嘆しました。 魯迅は、この家で何不自由ない少年時代を送っていました。12歳の時に突如不幸が襲います。祖父が逮捕されたのです。科挙(旧中国に行われた官吏登用のための、中国の特殊な資格試験)の最終試験に合格できない息子(魯迅の父親)をみかねて、試験管に賄賂を贈ったことがバレての逮捕でした。当時としては大変なスキャンダルで、このため魯迅の家は没落することになります。その辛酸は、皮肉なことに魯迅の最初の現実覚醒の契機となりました。 この故居の隣に飲み屋があって、それは魯迅の祖父がサイドビジネスで開いていた店でした。この店は魯迅の小説「孔乙己」の舞台になったもので、記念館の隣に再現されていました。「孔乙己」は、科挙を志しながら落ちぶれたアル中の主人公を描いたもので、タイトルの「孔乙己」は、その主人公の名前でもあります。孔乙己は、この店に現われてはツケで酒を呑み、みんなの笑い者になっていました。しかし、時折発する警句は知識人のそれで、その落差を、人はまた笑うのでした。 魯迅に、絶望があるから希望があるという有名な言葉があります。 どうしょうもない気持ちに陥ったとき、ぼくはこの魯迅の言葉を思い出して、魯迅の上海時代の絶望の深さを思うのでした。
by sosakujo
| 2007-10-15 18:29
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