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ファーマーズマーケットは、直訳すると「農家市場」です。
今、これが各地で盛んにやられています。 出店者が自ら生産もしくは採取したもの、あるいは加工したものを持ち寄り販売するのは、何も昨日、今日始まったわけでなく、アメリカで盛んだから日本に移されたものでもなく、もともと古くから各地でやられてきたことです。 高知の市場などは、その嚆矢(こうし)というべきもので、品物の多彩なこと、安いこと、飛び交う土佐弁の声、声、日焼けした顔、顔に、こころが踊ります。 ただし、意識的にファーマーズマーケットと言う場合、そこにひとつの視座があることに気づきます。 朝市は、昔からの露店的風景が残されていて、それはそれでいいのだけれど、真っ赤な林檎飴などは、やはりちょっとヤバイものを感じたりします。 これに対し、ファーマーズマーケットは、水が危ない、空気が危ない、土が危ない、食べ物が危ないというなかで、安全や健康を市民が自らの手で防衛しようとする考えが見られます。 ファーマーズマーケットに行くと、この野菜は誰が作ったのかが書いてあります。○○○子さんが作ったトマトと言われたところで、マーケットに訪れた人みんながその人を知っているわけではありません。固有名詞が用いられているので、責任がはっきりしているというだけで、絶対的根拠があるわけではないのです。 にもかかわらず信じられるのは、売っている人たちどうしが仲間であり、その牽制力といいますか、ある種の相互制御力が働いていることを自然と感じて、そうして間違いないと信じられるのです。 出品されているものは、少しばかりゴツゴツしていたり、大きかったり小さかったり、不揃いではあるけれど、それも愛嬌だという受け止め方があって、そういう光景はデパートや、大きなスーパーマーケットには断じてありません。それらの場所では、全部形を整えて、キュウリはこの大きさで、と決められております。 それらの店がオン・ステージとするなら、ファーマーズマーケットは、オン・ザ・コーナーであって、前者はブランドで、後者は関係認識で成り立っています。 ブランドは、たとえていえばペットボトルのお茶のラベルのようなものです。 もし緑色のラベルがなければ、ただの濁った水に見えてしまいます。差し出されても、大丈夫かと疑ってしまいます。キリンや伊藤園などのラベルが貼られているから飲めるのです。 これに対し、オン・ザ・コーナーは、農家の縁側でおばあちゃんが入れてくれるお茶のようなものです。そのおばあちゃんを疑う人は、まずいないと思います。 後者のあり方、その無言の信頼感が「地域」なのだと、わたしは思います。 ファーマーズマーケットは、地域の味がまちをつくるという考え方が根にあります。工務店の仕事は、地域の木が地域の家を造ることにあります。 メーカーだから、流通品だからいいというのではなく、その地域の工務店だからいいということにならないといけません。 工務店が元気を出して、このテーブルに載るこの野菜はどこで採れた、これはどこで捕れたということと同じように、この家の木のここはこうだよ、あそこはこうだよというふうにして、身近な暮らしの中に家を造ることが大切です。 お月見の時には、食卓をちょっと低くして、みんなで楽しんで、このススキはどこでとってきたんだよとか、この芋はどこだよとかって、そういうような事は些細だけれども、確実に喜びになって行くんじゃないでしょうか。 そういうことに、暮す喜びがあるのであって、ブランド物を買うのはバブルの時の喜びだったけれども、それとはちがう楽しみ方があることを知ってもらうことです。 これからやってくる格差社会では、そういうあり方に幸せを見出す方がいいと思います。そしてそれを提案できるのが、工務店だと思うのです。 そういうことはハウスメーカーにはできませんから。
by sosakujo
| 2006-09-24 07:27
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