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毎週4日程度、遠方の出張が続いていて、このところ、多忙を極めているため、ブログの更新ができずにいます。今も大分におります。
先日、待望の椎葉村(宮崎・奥日向)に参りました。農水省の役人だった柳田国男が、ここを訪ね、最初の本、『後狩詞記』を書きました。『遠野物語』の1年前に出されました。 柳田は、明治41(1908)年7月13日から18日まで、この村を訪ねています。前に奥三河を歩いていて、老婆に昔の話を聞いていたら、昔、あなたと同じようなことをお籠に乗って聞きに来た学者様がいた、という話を聞きました。奥三河は、折口信夫も、宮本常一も入っていますが、柳田国男の足跡もあり、話の感じでは柳田以外にないと思いました。椎葉村にも、そんなふうにしてやってきたのかと思ったら、うれしい気持ちになりました。 椎葉村の手前にある諸塚村が「産直住宅」をやっていて、そこのパンフレットをまとめており、ここまで来たならと椎葉村に足を延ばしました。 椎葉村へは、一車線の細い道が多く、しかも断崖絶壁、対向車がやって来ると、もう大変でした。雨ですし、ぎっくり腰を患っていたので、三重苦、四重苦の中、ようやく椎葉村にたどり着きました。といっても、柳田に比べるべくもありませんが・・・。 ほんとうは、ここに一週間ほど滞在して、柳田が訪ねた奥地の集落に行けたらいいのですが、日程の関係でそうは行きませんでした。 椎葉村から、五ヶ瀬村を通り、阿蘇の方に向いました。こちらはいい道でした。 南阿蘇では、ミズタホームさんが建てた「阿蘇山大観望の家」を見てきました。これはなかなかのもので、近いうちにweb『びお』に特集記事を書きます。一度、大分に抜けて、また取って返して、全部で写真500枚を撮りました。いい写真が何点かあるようです。 浜松に戻り、4日後、また大分に来て、佐伯、臼杵の山を回っています。 昨日は、臼杵で獲れたばかりの、旬の関さば・関あじをご馳走になりました。臼杵の石仏も見ました。これはすごいものでした。臼杵には、野上弥生子の記念館がありますが、残念ながら行けませんでした。このあたりは、ゆっくり来たいところですね。 今日は、大分の図書館に行って資料をあたります。 来週は、つくば、東京で仕事をします。 2月までに小冊子を6冊ほどまとめなければならず、正月はその原稿書きに追われることになりそうです。 結局、忙しいのが好きなのよ、と家でいわれておりますが・・・。
by sosakujo
| 2009-12-19 03:58
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