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長崎空港から、プロペラのポンバルディア機に乗って対馬に入りました。
プロペラ機は、フィンランド奥地のイナリや、ユトランド半島のオールボーなどの町に向かったとき、よく乗ったものです。オールボーのアクアビットは46℃にもなるお酒で、下戸のわたしにはキツイお酒でした。 さて、今回の対馬行のプロペラ機に乗り込んだのは、秋山東一(秋山さんは、この後、島根のリンケンさんを回り、出雲の藤原木材産業さんが建てられた、永田さんの最新の家見学に向かわれました)さん、輝星建設の平山耐社長、長崎県林務課の富田浩文氏、それからわたしと、「びお」副編の佐塚昌則の5人でした。小さな飛行機なので、まるでチャーター機のような感じでした。 今回の対馬行は、対馬檜(対州檜)の山を見学することが主目的でした。 国交省の地域住宅推進事業で、長崎市内にモデル住宅を建築する計画があり、県産材を使おうということで持ち上がったのが対馬檜の利用でした。長崎県は、九州の例外にもれず山の多い国ですが、持続的に供給可能な建築用材となると、これがなかなかきびしいのです。 「対馬ならある」、と平山さんがいいました。 「え、ツシマって、あの対馬山猫のツシマ」と聞き返しましたら、「そうだ」といいます。 かくして、われわれは対馬を訪問することになったのです。 対馬は全島を89%の森林で覆われた島です。 宮崎の綾とならんで、日本有数の照葉樹林帯の島ですが、人工林も36%を占めています。 人工林は、戦後の「造林臨時措置法」によって植林されたもので、そのことを、当時、島内踏査に来ていた民俗学者の宮本常一(1907~1981年)が、『私の日本地図――壱岐・対馬紀行』に書いています。 「島で植林事業は容易に進まないのだが、対馬はやがて林業王国として記憶されるようになるだろう」 植林が「容易に進まない」のは、この島の地形にあると宮本常一は記します。 「この島は遠くからみると高さがほぼ一定にテーブルのように見える。しかし島内に入ってみるとほとんど平地がなく、二、三百メートルくらいの尾根がつづき、また支脈を出し、山と谷で埋まった島といっていい。そのうえ地質は頁岩(けつがん)と粘板岩(ねんばんがん)が多く、頁岩には無数のひび割れが合って水持ちがきわめてわるく、谷底以外に田をひらくことができない。そのうえ山の傾斜が急なため、山地を利用して畑をひらくことがむずかしい。したがって山間に住む者はほとんどなく、谷間や海岸に住んでいる。その海岸は陸地が沈降してできたために、溺れ谷が多く、フィヨルドのような深い入り江をいたるところに見る。とにかく山坂ばかり多いところだから昔は島内に平坦な道はほとんどなく、その道をあるいて往来したものであった。しかし周囲を海に囲まれているので、船をできるだけ利用して往来することの方が多く、そういうことから、陸路の発達がさらにおくれることになった」 この記述を読んで分かることは、宮本常一という人は、やはり『旅する巨人』だということです。こういう人がいた、というだけで、わたしには感動ものです。 宮本は、道路が整備されていない島内をくまなく歩きます。そして、この島と、この島の人たちが行っていることをつぶさに書き記しています。 歩いて調べる、ということでは、伊能忠敬か宮本常一の二人に尽きるように思います。 宮本常一は、生涯4000日以上を民俗調査に費やしたといわれますが、司馬遼太郎は「日本地図の上を空気のように動くが如く、歩いて歩いて、歩き去りました。日本民族と日本の山河をこの人ほど確かな目でみた人はすくない」と評しています。 宮本常一を貫いていたのは「経世在民」ということだろう、と思います。最近では、アフガンで尽くしている中村哲さんがそういう人で、足尾鉱毒事件に奔走した田中正造もそういう人でした。宮本は、旅をすると、その土地と結縁するというか、その土地を背負ってしまう人なのです。 対馬については、「びお」の20日更新と、25日更新に、二度にわたって特集を組みます。 石置屋根のこと、ニホンミツバチのこと、照葉樹林のこと、対州檜のことなど、旅先で原稿をほぼ書きおえました。今回は写真もたくさん撮りましたので、それも載せます。 平山さん、富田さん、対馬森林組合や林業公社、対馬市のみなさん、ありがとうございました。 獲れたばかりのウニおいしかったです。濃密なハチミツの味も忘れられません。 明日は、取材を兼ねて、入政の新野さんの竹林でタケノコ堀を行います。 掘り出したタケノコは、長崎五島列島のアゴの出汁により、三陸のワカメと一緒に「たいたん」します。たいたんは大阪弁です。この響きいいと思いませんか? 20日から、節季は「穀雨」に入ります。 「びお」のタイトルも変わります。おたのしみに。 昨日、事務所で来年のカレンダー(もう準備に入っています)の検討会を持ちました。 二十四節季カレンダーをつくります。一か月・一週間と違う、もう一つの時間軸を、われわれは持っています。それは体内時計になっていて、旬に接したときに蘇るのです。一か月カレンダーは、いろいろなところで貰えるので、町の工務店ネットは、「旬ナビ」とコラボ連動させて、二十四節季(24枚)で作ります。おもしろいですよ。 明後日から京都で3日間、200年住宅の集中合宿です。 そのプロモーション原稿(8p)を、今夜まとめました。もう寝ることにします。
by sosakujo
| 2009-04-18 02:42
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