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小池創作所代表・小池一三のブログです
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美和さんが嫁いだ大谷芍薬園
二十四節季・穀雨末侯は「牡丹華」です。ぼたんの花開くと読みます。住まいネット新聞「びお」七十二候では、牡丹ではなく、芍薬を取り上げました。そうです、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花のシャクヤクです。

芍薬の蕊(しべ)に湧き立つ日向かな 

という太祇(たいぎ)の句を紹介しながら、シャクヤクについて、あれこれ書きました。
と、その折、『住む。』の編集の仕事をしていて、芍薬園にお嫁に行った美和ちゃんからメールがあり、「びお」で芍薬を取り上げないかという話がありました。それなら、記事を書ける人なんだから、美和ちゃん書いてよ、ということになり、ご主人と協力して特集記事にまとめてもらいました。次候(5/1頃)の更新で登場しますので、是非お読みください。おもしろい記事です。

うちのかみさんが、花の仕事をしているので、彼女にアレンジメントしてもらい、それをぼくが写真を撮りますと美和ちゃんにメールを送ったら、ご丁寧にというか、嫁ぎ先の大谷芍薬園から、見事な芍薬がどさっと送られてきました。
こりゃ、大変だとも思いましたが、嬉しくもあり、送られてきた以上「料理」しなければならず、それも楽しみであり、写真も撮らなければならず、それも興奮ものでした。かみさんの話では、芍薬は、花そのものに圧倒的な力があるので、ほかの花と合わせるのがむずかしい、ということでした。それで、芍薬だけで生けてもらうことにしました。

かくして、昨夜、夜の10時ごろに生けてもらい、朝、4時まで、途中原稿などを書きながら、撮影したのですが、夜が明けてハタと気づいたのは、「立てば芍薬だよな」ということでした。夜中に撮ったのは、芍薬のかたまりのような写真です。やはり芍薬は、すっきりと一本で立っていなくては、と朝になってまた撮ることになりました。これらの写真も、特集に掲載しますのでご笑覧ください。

で、芍薬ですが、これは驚くべき花だというのが、ぼくの感想です。蕾も大きいのですが、花が開くと、まことに鮮やかなもので、夜が明けて、朝日に照らされた芍薬は、まさに

芍薬の蕊(しべ)に湧き立つ日向かな 

という太祇の句どおりのものでした。「蕊(しべ)に湧き立つ」ということばに、最初は大袈裟な感じを受けていましたが、その通りのものがありました。遊び人、太祇だけに、この花の価値がよく分っていたんだ、と思いました。
芍薬を詠んだ句は、ほかに

芍薬は紙魚打払ふ窓の前   与謝蕪村
芍薬のつんと咲きけり禅宗寺   一茶
芍薬の一ト夜のつぼみほぐれけり   久保田万太郎
芍薬やつくゑの上の紅楼夢   永井荷風

などがあります。
万太郎の句は、一晩、芍薬と付き合ってみて感じたことでした。
荷風の句からは、たしかに芍薬には、遠い昔に読んだ『紅楼夢』を彷彿させるものがありました。

こういう見事な花に接すると、花を愛でることのたのしさを感じることができます。

芍薬を堪能したい方は、ぜひ、大谷芍薬園から、お取り寄せください。
旬のものです。今なら間に合います。

大谷芍薬園
神奈川県高座郡寒川町田端874 tel.fax.0467-75-0724

http://otani-farm.net
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by sosakujo | 2009-04-29 11:30
聴竹居のこと
京都での集中合宿のあと、町の工務店メンバーと一緒に、藤井厚二が80年前に建てた「聴竹居」を見に行きました。京都郊外山崎に建てられていて、あのあたりは合戦史に残る天王山があり、「何もたさない 何もひかない」というコマーシャルで知られるサントリー山崎工場があります。新幹線で走っていても見えるし、在来線で通ると、目前に見えます。「聴竹居」は、あのあたりに建てられているんだろう、と漠然と思っていましたが、まさに天王山の裾野にあって、その上には大山崎山荘美術館があって、折から濱田庄治の展示会をやっていました。
山荘のベランダから眼下を眺めると、桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川となることがよく分かり、対岸に男山までの距離が間近であることがよく分かります。山荘に行く道は、緑が青葉が茂り、見事な竹林があります。
そういう土地に、藤井厚二が自身5軒目の実験住宅として建てられたのが「聴竹居」でした。

ようやく公開されることになった「聴竹居」については、これまで小玉祐一郎さんから幾度となく聞き、また、最近『百の知恵』双書で小泉和子さんがまとめられたこともあって、その細部にわたるまで知っていての訪問でした。けれども、実際に見てみて、やはりこれはスゴイ、というのが、ぼくの感想です。
80年という時間が、この建物をひどく痛めているけれど、滾々と湧き出てくる泉のように、藤井厚二その人がやらんとしたこと、豊かな実験精神が、そこに横溢していました。

くわしいことは、「びお」の特集で、しっかり書くことにします。

JRの駅から、すぐのところに千利休の作とされる茶室「待庵」や、水無瀬宮燈心亭があります。また、この「聴竹居」に入る手前に、安藤邦廣さんが設計されたレストランが建っています。在来線に沿って西に下るとサントリー山崎工場があります。見学できるようになっていて、ウイスキーもいただけます。
一日を過ごすのに、とてもよいところなので、ぜひ出掛けてください。ただ、「聴竹居」も、「待庵」も、燈心亭も、あらかじめ予約が必要です。念のため。

お昼に、旬の筍料理を食べました。
これは、美味でした。山崎の小料理屋のカウンターでの食事でしたが、料理をしてくれた板長さんに、筍について、あれこれ話を聞きました。白子筍とはいえ、筍は早く茹でることが一番の大事とのこと。掘ってからの時間は、と質問したら、直ぐがいいのだけど、遅くとも3時間以内、といわれました。
わが意(前回のブログに書いています)を得たり、でした。
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by sosakujo | 2009-04-24 07:21
京都の筍
200年住宅の集中合宿を京都で開いていて、その会場が錦市場に近いため、錦(京都では、単に「錦」といいます)の京野菜屋さんを覘いてみました。
筍の値札をみて、同僚が、あっ!という声を発しました。
二本で1万円の値札が付いていました。
その同僚とは、この日曜日に、浜松の「入政農園」(入政建築さんの竹やぶを、そう勝手に呼んでいます)で筍掘りをしたばかりだったので、驚きがつよかったのだと思います。

ぼくは京都生まれなので、京都西山丘陵で、稲藁を敷き詰めた上に 保水力のある赤土を 重ねて重ねて、羽毛布団のようにふかふかした土の中で育てられた筍が、いかほどのものか知っていましたし、宅配便で取り寄せたこともありましたので、そう仰天しませんでした。高くなった、と思うものの、

「そんなものでしょ」

と同僚に言いました。同僚は、それでまた目を丸くしていました。
その筍は、ふかふかとした柔らかな土の中から伸びてくるので、肉質も柔らかく、煮た場合には出汁が浸み込んで、それはおいしいものです。「白子」という別名がつけられています。

ただ、朝堀りしたものを、すぐに宅配便で送ってもらったものの、やはりそこに一定の時間を要します。「入政農園」の筍は、固い土から掘り出され、色も黒ずんでいて、見た目はよくありません。しかし、掘り出してすぐに茹でたものは、宅配便で送られたものより、ぼくにはおいしく感じられました。

その時以来、筍は一刻を争って、堀ったらすぐに茹でるものだと思いました。日曜日の筍掘りでは、大きな鍋を二つも用意し、できれば掘り立てをすぐに茹でたい心境でしたが、事務所と「入政農園」は近いので、フルスピードで事務所に戻って茹でたのでした。
20日更新の「びお」には、筍と若布のたいたんの話を書きました。また、筍だけでなく、日本一の若布といわれる三陸海岸、重茂半島で獲れる若布のことを書きました。武山倫さんの「筍掘り体験記」もでています。

明日(22日)、京都郊外山崎(「聴竹居」をみんなで見に行きます)の方に出向きます。現地集合で、午前中は自由行動なので、長岡京あたりに立ち寄って、朝堀りの筍があれば買って帰るかも知れません。
新幹線で持って帰って茹でようと思いますが、よく考えたら、家にはまだ日曜日に掘って茹でたものが冷蔵庫にあり、その翌朝には、また東京に出張があるので、そんなに食べられるわけがありません。
こういうのを、「筍には目がない奴」というのでしょうか? そうです、これで結構、筍大好き人間なのです。
さーて、どうするか?
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by sosakujo | 2009-04-21 03:07
対馬へ
長崎空港から、プロペラのポンバルディア機に乗って対馬に入りました。
プロペラ機は、フィンランド奥地のイナリや、ユトランド半島のオールボーなどの町に向かったとき、よく乗ったものです。オールボーのアクアビットは46℃にもなるお酒で、下戸のわたしにはキツイお酒でした。

さて、今回の対馬行のプロペラ機に乗り込んだのは、秋山東一(秋山さんは、この後、島根のリンケンさんを回り、出雲の藤原木材産業さんが建てられた、永田さんの最新の家見学に向かわれました)さん、輝星建設の平山耐社長、長崎県林務課の富田浩文氏、それからわたしと、「びお」副編の佐塚昌則の5人でした。小さな飛行機なので、まるでチャーター機のような感じでした。

今回の対馬行は、対馬檜(対州檜)の山を見学することが主目的でした。
国交省の地域住宅推進事業で、長崎市内にモデル住宅を建築する計画があり、県産材を使おうということで持ち上がったのが対馬檜の利用でした。長崎県は、九州の例外にもれず山の多い国ですが、持続的に供給可能な建築用材となると、これがなかなかきびしいのです。
「対馬ならある」、と平山さんがいいました。
「え、ツシマって、あの対馬山猫のツシマ」と聞き返しましたら、「そうだ」といいます。
かくして、われわれは対馬を訪問することになったのです。

対馬は全島を89%の森林で覆われた島です。
宮崎の綾とならんで、日本有数の照葉樹林帯の島ですが、人工林も36%を占めています。
人工林は、戦後の「造林臨時措置法」によって植林されたもので、そのことを、当時、島内踏査に来ていた民俗学者の宮本常一(1907~1981年)が、『私の日本地図――壱岐・対馬紀行』に書いています。

「島で植林事業は容易に進まないのだが、対馬はやがて林業王国として記憶されるようになるだろう」

植林が「容易に進まない」のは、この島の地形にあると宮本常一は記します。

「この島は遠くからみると高さがほぼ一定にテーブルのように見える。しかし島内に入ってみるとほとんど平地がなく、二、三百メートルくらいの尾根がつづき、また支脈を出し、山と谷で埋まった島といっていい。そのうえ地質は頁岩(けつがん)と粘板岩(ねんばんがん)が多く、頁岩には無数のひび割れが合って水持ちがきわめてわるく、谷底以外に田をひらくことができない。そのうえ山の傾斜が急なため、山地を利用して畑をひらくことがむずかしい。したがって山間に住む者はほとんどなく、谷間や海岸に住んでいる。その海岸は陸地が沈降してできたために、溺れ谷が多く、フィヨルドのような深い入り江をいたるところに見る。とにかく山坂ばかり多いところだから昔は島内に平坦な道はほとんどなく、その道をあるいて往来したものであった。しかし周囲を海に囲まれているので、船をできるだけ利用して往来することの方が多く、そういうことから、陸路の発達がさらにおくれることになった」

この記述を読んで分かることは、宮本常一という人は、やはり『旅する巨人』だということです。こういう人がいた、というだけで、わたしには感動ものです。
宮本は、道路が整備されていない島内をくまなく歩きます。そして、この島と、この島の人たちが行っていることをつぶさに書き記しています。
歩いて調べる、ということでは、伊能忠敬か宮本常一の二人に尽きるように思います。
宮本常一は、生涯4000日以上を民俗調査に費やしたといわれますが、司馬遼太郎は「日本地図の上を空気のように動くが如く、歩いて歩いて、歩き去りました。日本民族と日本の山河をこの人ほど確かな目でみた人はすくない」と評しています。
宮本常一を貫いていたのは「経世在民」ということだろう、と思います。最近では、アフガンで尽くしている中村哲さんがそういう人で、足尾鉱毒事件に奔走した田中正造もそういう人でした。宮本は、旅をすると、その土地と結縁するというか、その土地を背負ってしまう人なのです。

対馬については、「びお」の20日更新と、25日更新に、二度にわたって特集を組みます。
石置屋根のこと、ニホンミツバチのこと、照葉樹林のこと、対州檜のことなど、旅先で原稿をほぼ書きおえました。今回は写真もたくさん撮りましたので、それも載せます。
平山さん、富田さん、対馬森林組合や林業公社、対馬市のみなさん、ありがとうございました。
獲れたばかりのウニおいしかったです。濃密なハチミツの味も忘れられません。

明日は、取材を兼ねて、入政の新野さんの竹林でタケノコ堀を行います。
掘り出したタケノコは、長崎五島列島のアゴの出汁により、三陸のワカメと一緒に「たいたん」します。たいたんは大阪弁です。この響きいいと思いませんか?

20日から、節季は「穀雨」に入ります。
「びお」のタイトルも変わります。おたのしみに。
昨日、事務所で来年のカレンダー(もう準備に入っています)の検討会を持ちました。
二十四節季カレンダーをつくります。一か月・一週間と違う、もう一つの時間軸を、われわれは持っています。それは体内時計になっていて、旬に接したときに蘇るのです。一か月カレンダーは、いろいろなところで貰えるので、町の工務店ネットは、「旬ナビ」とコラボ連動させて、二十四節季(24枚)で作ります。おもしろいですよ。

明後日から京都で3日間、200年住宅の集中合宿です。
そのプロモーション原稿(8p)を、今夜まとめました。もう寝ることにします。
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by sosakujo | 2009-04-18 02:42
博多町家
浜松から新幹線で博多に入りました。
中部国際空港から博多に飛ぶ手もありますが、浜松から空港バスで行って、待ち時間を入れたりすると、時間的にあまり変わりないので新幹線を選んだのですが、こちらの方が乗っている時間が長いので、持病の腰痛にはあまりよくありません。

今回の博多訪問は、長崎材木店のお招きにより、200年住宅の勉強会の講師を務めるためでした。
建築家の趙海光(ちょううみひこ)さんとの共演で、わたしが1時間半ほどお話し、そのあと趙さんが、いま長崎材木店で進めておられる「博多町家」モデルのプレゼンをなさいました。趙さんは、二つの模型を持参され、パーポイントでも絵解きされ、なかなかたのしいプレゼンでした。参加者は目を輝かせていました。「博多町家」には、地元の新聞社も注目していて、取材が入っています。仕掛け人のわたしとしては、ホクホクした気分でした。

長崎材木店の社長、長崎秀人さんは、思い切り、踏み込みの鋭い人で、仕事を道楽にできる人です。道楽というのは、だれもかれもやれることではありません。財力が必要ですし、「遊び」を支える教養を必要とし、意外と思われるかも知れませんが、相当に「ヤセガマン」を必要とします。
秀人さんは、サーフィンの名手でもありますが、いい波がくるまで、寒くても何でも、じっと待つ「ヤセガマン」がないと、いい波に乗ることはできません。
道楽とは、道を究めることであって、そういう宇宙を持っている人によって「博多町家」がつくられることを思うだけで、これはもうワクワクしないではいられません。

勉強会が終わった後、地元メンバーと天神界隈の居酒屋でああでもない、こうでもないと意見を交わしました。世界の経済がこんなふうなので、談論風発、幕末の勤皇の志士気分でした。
肴はおいしい、酒もおいしい(わたしは下戸ですが)居酒屋でした。なにせ、博多ですもの。

この居酒屋のあと、趙さんとおいしいコーヒー店で、「小さな家」について、また延々と議論しました。
「小さな家」については、新建ハウジング・プラスワンに連載している「独立自営工務店という選択」の次号原稿に書きました。締め切り10日前に脱稿しての博多入りで、一方、趙さんは『住宅建築』の締め切りを、翌日に控えての博多入りでした。今頃、同じホテルの部屋で、うんうんと唸りながら原稿を書いておられることと思います。遅くまで引っ張ってしまって、何だか悪いような気がしますが・・・・・・。

「小さな家」について、意見が一致したのは、縮み思考でやるのではなく、たのしい宇宙をつくる方向で考えるというものでした。これは「小さな家」に熱心に取り組む伊礼智さんが、実作でなされていることでもあります。
7月に有明で、ぼくが司会をして、趙さんと伊礼さんとディスカッションする予定もあり、この取り組みはたのしくなりそうです。

きようは、これから長崎に行って、対馬に渡ります。テレビの天気予報では、濃霧注意報が出ていて、対馬は雨になりそうですが、照葉樹林の島にふさわしい訪問といえるのかもしれません。
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by sosakujo | 2009-04-13 04:19
小さな家の原理
「ひお」がリニューアルオープンしましたが、姉妹サイトとして始まった「びお旬ナビ」について、たくさんの方からメールやお電話で、たのしいサイトだね、と言っていただいています。
ありがとうございました。

15日の更新では、永田昌民さんが出雲で設計された最新の仕事(施工/藤原木材産業)をご紹介します。また、「興味津々」のコーナーでは、このところ出張に持ち歩いていた堀田善衛の『方丈記私記』について書きました。

『方丈記』の冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」を捉えて、移り行くもののはかなさを語った随筆とされていますが、この書き出しは、実は、水のことでも泡のことでもなく、「世中(よのなか)にある人と栖(すみか)、またかくのごとし」という箇所にかかっていると、堀田はいいます。堀田の指摘は、これまでの『方丈記』理解を根底から覆すもので、へえーそういうことだったのだ、と肺腑に落ちました。
堀田は、「やどかりは小さな貝が好きだ。これは身の程を知っているからである」「広く大きな住居など願わず、あくせく走り回ったりしない」と書きます。
堀田は「ただしずかなるを望みとし、憂へ無きをたのしみとす」る長明を、「全人間が、一軒の家のかたちをとっていることをわけても私は面白いと思う」といいます。そういうものとして、方丈庵(一丈四方/3.03m四方)を考えると、狭いけれど、それは一つの宇宙を持っているように思えてきます。
「小さな家」のあり方というか、原理を言っているように思いました。
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by sosakujo | 2009-04-08 11:11
びお旬ナビ、本日オープン
住まいネット新聞びおの「旬ナビ」が、本日オープンします。「びお」のオープン時のように、開けるのは夜になるかも知れませんが、本日中には、というメドを立てています。
「びお」の開始から9ヶ月、助走を終了し、大空に飛び立つという感じです。
「びお」は、寒風のなかに立っているようなサイトでした。無骨かも知れませんが、「びお」らしさを探すべく追ってきました。
「びお」の前には『住まいを予防医学する本』の発行がありました。
あの本を生むことで「びお」があり、これまでの「びお」があることで、今回の「旬ナビ」があると思っています。
今回の「旬ナビ」の中身は、まだ薄いけれど、これを数ヶ月続けると、だんだんと「らしさ」が発揮され、中身も濃くなるとみています。
応援のほど、お願いします。
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by sosakujo | 2009-04-05 06:35
ソメイヨシノを巡って
「びお」でソメイヨシノの特集を組み、文章をわたしが書きました。
それを巡って、コメント欄で議論が起こり、以下はそれに対する、わたしのコメントです。

筆者です。Kさん、ヤマさん、かずさん、コメントありがとうございました。どうもわたしの書き方が挑発的であったようで、物議を醸しているようで、恐縮しています。
Kさんには、ご自身のよき思い出を、わたしの文章によって汚されたと思われたとしたら、お詫びするほかありません。
ただ、歴史的事実としてソメイヨシノは明治以降の桜であり、クローンであることは動かしがたく、山桜とは本質的に異なるものです。
折口信夫は『死者の書』のなかで、「野茨 ( のいばら ) の花のようだった小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰にかけて、断続しながら咲いているのも見える」と書きました。
山桜は葉が先に出ます。ソメイヨシノは花が散って葉桜になります。けれども、葉の中から桜が咲きい出るのが山桜です。「木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる」(枕草子 第三十七段)のです。
「あしひきの山桜日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも」これは山部赤人の歌です。山桜は並んで咲いていることが少なくて、孤立して、淋しく咲いています。一斉に咲いて一斉に散るソメイヨシノは、そんな山桜に比べると、どうしても薄っぺらく、深みがない桜だと思われるのです。これは客観的な比較であって、Kさんのこころの中にある桜を冒そうとするものではありません。そのことで、たとえイヤな感情を持たれたとしても、そういう見方もあるのか、とご理解いただくほかありません。
ソメイヨシノは、すぐに散る桜の花とされてきました。それが死の観念と結びつけられ、軍国日本の散華のシンボルとして使われました。古代の日本人は「咲いた桜に何故駒つなぐ、駒がいななけば花が散る」といって、散る桜を惜しみました。桜は、悠々として咲き、のどかな花だったのです。何で「散るのが覚悟」の花なのですか。ソメイヨシノは、桜のありようを大きく歪めました。それが日本の桜の8割を占めていることに、わたしはガマンならないものを感じていて、ああいう記述になりました。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎は書きました。これは恐ろしい文章ですが、桜には、こういう面もあるのだと教えてくれる一文です。
「屍体はみな腐爛して蛆がわき、たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のようにそれを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ」

「びお」の本文及びみなさんのコメントを読んでいただければ幸いです。

「びお」は、明日(4月5日)リニューアルオープンします。このところ、その作業に追われていました。
結構おもしろく仕上がっています。お楽しみに。

明日から越後長岡に、明後日は東京で仕事をします。
来週末からは、博多、長崎、対馬、岡山と回ります。
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by sosakujo | 2009-04-03 01:00