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小池創作所代表・小池一三のブログです
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三好達治の詩から
昨日は、犬山に行き、その足で美濃市にある岐阜森林アカデミーに行って、先導的モデルに採択された「住宅医」について、三澤文子さんたちと検討会を開き、夜、遅くに浜松に戻りました。
町の工務店ネットが共同提案して採択された超長期先導的モデルは、この「住宅医」を含め4件ですが、戸数の指示があり、178戸の申請に対して、129戸が対象となりました。これは、結構すごい話です。というわけで、この件に追われに追われています。
火曜日は、大阪でセミナーが開催されます。現在、105名の申し込みがあります。東京は46名でしたので倍以上の参加者です。4採択の影響大というところです。
そういう中でも、「びお」は5日に1回更新しなければならず、寸暇を惜しんで書いています。
ブログの方が、近況みたいなことばかりになっていますので、お詫びをこめて、今朝書いた七十二候の原稿を一足早く載せさせていただくことにします。
今回は、三好達治の有名な詩を取り上げました。
かなり、おもしろい解釈になっているものと思います。長いけれど、読んでみてください。

20.08.12.07更新

大雪【閉塞成冬】そらさむくふゆとなる


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ。  三好達治

二十四節気は大雪(たいせつ)。この日から冬至までの期間をいいます。
太陽黄経が225度のときで、雪が激しく降り始めるころ。
『暦便覧』では、「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明しています。
閉塞成冬とは、天地の気が塞がって冬となることを意味しますが、それによって、ブリなどの冬の魚が登場したり、ナンテンの実が赤く色付いたり、ウインタースポーツの幕が開いたりするのです。冬は冬でいいのです。熊は、長い冬眠に入りますが……。

この二行詩は、『測量船』という詩集にあります。
タイトルは「雪」です。
国語の教科書によく出てくる詩です。
「眠らせ」たのは、お母さんなのか、雪なのか?
太郎と次郎は兄弟で、一緒の家に住んでいるのか、いないのか?
降り積む雪とは、いったいどんな雪なのか?
といったことを生徒に聞いたりしながら、たのしく授業をすすめます。

この二行詩は、俳句でも、短歌でもありません。俳句としてみても、短歌としてみても冗漫だといわれます。けれども、詩としてみると、冗漫なんてものではなく、ぴんと張り詰めた緊張があって、ひとつの宇宙があります。そうして抒情の内実は、伝統詩形にはない新しさを持ちながら、じつに俳句的であり、短歌的です。「都会人の雪に対する情緒的な表現」とする見方や、「民話的情感に寄り過ぎている」という批判がありますが、日本人のこころに、すっと受け入れられる伝統性を持っています。

この雪は深く、人は雪の下に埋もれて暮らしていて、その家に横たわって眠っています。深く眠っています。物音をものみな吸い取って雪は、なお降りつもっています。
そう、太郎と次郎を眠らせているのは、その静かな静かな雪なのですね。お母さんではありません。これは文法的にも「雪」です。

三好達治は、1900(明治33)年、大阪市に生まれました。
達治は、軍人を志して幼年学校進みます。一年半の課程を終えて、朝鮮の会寧(ホェニョン)に「教育赴任」します。半年間の教育赴任の後、陸軍士官学校に入学しますが、達治はそこを脱走して樺太へ渡ろうとします。北海道まで行って連れ戻され、憲兵に捕えられて陸軍衛戌刑務所に入れられた後、退校追放となります。
何故、恋焦がれた軍人の道を断ってまで脱走したのか、それはかくあるべしと思っていた理想と、朝鮮の会寧に「教育赴任」してみた現実とが、あまりに乖離していたからだといいます。この間の見聞を書いた散文詩に「国境」があります。

(跋)
 この国の南端の港の桟橋を踏むだとき、人人は彼らの粗末な食物と、苦役にも等しい激しい労働とを見るだろう。この国の北端の国境に立って、人人はこの晴衣の行進を見なければならない。対岸には早や移住した幾万の彼等が畠を作り街を作っている。その数を二十万人に近いとも云ふ。そして毎日毎日この行列は続いている。旅行の間彼等の一組は他の一組と親密しない。彼等はお互に見識らない。
(全集第12巻、『測量船』拾遺に属す。初出は『青空』28号、1927年6月)

会寧は朝鮮北端に近い豆満江(トウマンガン)岸の国境都市です。川を渡ると、中国領の間島(カンド)に接しています。間島は、旧満州のどんづまりというべき中国領土です。暮らしにつまった朝鮮人が国境の無人地帯を開墾して暮らしていました。
1919年3月1日に「独立万歳事件」(朝鮮全土をゆるがす独立運動蜂起)が起こりました。「帝国臣民」であるはずの朝鮮人の頑強なまでの反抗に、日本軍は驚愕し「不逞鮮人討伐」を掲げて、徹底的な弾圧に乗り出します。それは苛烈を極めました。これはヴェトナムでも、アフガンでも、イラクでもそうですが、この種の戦争は、無辜(むこ)の民を巻き込み、彼らが一番の犠牲の対象になります。それが占領者への敵意を醸成し、いよいよ泥沼に入り込むのです。当時の朝鮮では、3.1事件の弾圧を逃れた人々は、やがて国境を越え間島にたどりつき、そうしてそこは、朝鮮独立軍(抗日パルチザン)の根拠地となります。
達治が赴任した会寧は、当時こうした朝鮮独立軍と日本軍との激突の最前線でした。つまり、達治はその真っ只中に放り込まれたのです。

この間島での出来事を、朝鮮側から書いた詩に、槇村浩の「間島パルチザンの歌」があります。 

  思いではおれを故郷へ運ぶ
  白頭の嶺を越え、落葉松の林を越え
  蘆の根の黒く凍る沼のかなた
  赫ちゃけた地肌に黝ずんだ小舎の続くところ
  高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ
  雪溶けの小径を踏んで
  チゲを負い、枯葉を集めに
  姉と登った裏山の楢林よ
  山番に追われて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に
  背負縄はいかにきびしく食い入ったか
  ひびわれたふたりの足に
  吹く風はいかに血ごりを凍らせたか

この詩を槙村浩が書いたのは、1930年ですから、三好達治が会寧にいた時期とは重なりません。槙村浩は、日本の高知県にいて、「間島パルチザン」のことを想像して書きました。槙村浩は、そのとき十九才でした。この若きプロレタリア詩人は、やがて苛烈な弾圧の対象となり、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去しました。享年26歳でした。
この夭折の詩人のことは、野中兼山の娘を描いた『婉という女』《講談社文庫/今井正監督、岩下志麻主演で映画にもなっています》で知られる大原富枝の『一つの青春』(講談社刊)と、高知市在住の作家・土佐文雄の小説『人間の骨』(新読書社)に描かれています。『人間の骨』は、高知県民の手によって映画化(木之下晃明監督)されています。
ご紹介した「間島パルチザンの歌」は、高知市内にある槙村浩の記念碑に刻まれています。

ただ、歴史というのは皮肉なもので、槇村浩が詩に描いた、間島(カンド)で流された朝鮮人の多くの犠牲の上に今の北朝鮮があり、そこは金日成が闘った聖地として、極端にフィクション化されます。つまり、金日成に「間島パルチザンの歌」は食べられてしまったのです。そのことと、槇村浩の想いや独立を闘った朝鮮の勇士が一緒ではありません。圧制に立ち向かった人たちと、それを権力のために食べてしまった者とは、事柄の本質において、まったく異なることですので……。

話を戻します。
「雪」の詩人、三好達治が士官学校を脱走して、樺太に行こうとしたのは、当時シベリア出兵軍が樺太を占領していて、それを実見見聞することによって、それが間島で起こったことと一緒のものなのかどうかを見極めて、士官学校当局に教育内容の検討を直訴するつもりだったといわれています。詩人になる鋭敏な感覚は、自分が理想とした軍人のあり方と現実との乖離に懊悩しないではおられなかったのだと思います。
その行動は、軍当局にとって危険極まりないもので、彼は放逐の対象となるのです。しかし、後年三好達治は、軍国主義を称揚する詩人として立ち現れます。

神州のくろがねをもてきたえたる火砲にかけてつくせこの賊
この賊はこころきたなしもののふのなさけなかけそうちてしつくせ  「馬来の奸黠」

などという詩を、三好は書くのです。
彼にとって、この軍国の詩は、少年の日の理想なのかも知れません。けれども、それがまるでフィクションであることを、三好自身は知覚していたのでしょうか。
吉本隆明は、「三好が、その戦闘詩でつきあたった残忍感覚と、(「雪」にみる)情緒的な日常性の併存」との「日本的庶民意識」(「四季派の本質」)を問題にします。
「四季」派の詩人たちが、太平洋戦争の実体を、日常生活感性の範囲でしかとらえられなかったのは、詩の方法において、かれらが社会に対する認識と自然に対する認識とを区別できなかったこととふかくつながっている」
一人の詩人の人生としてみるとき、純粋であることが、結果においてそういう歪みを生むことがあることを、われわれは知っておきたいと思います。

陸軍士官学校を放逐された三好達治は、大阪に戻り、数カ月の勉強の後、京都の東大仏文科に学びます。東大在学中、梶井基次郎、丸山薫、小林秀雄、中島健蔵などと知り合い、「青空」の同人となり詩を発表し、やがて処女詩集「測量船」を上梓します。「雪」は、この処女詩集に出てきます。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ。

「雪」を書く前の三好達治を知ると、このふりつむ雪は、想像しがちな東北や越後や信濃の村ではなくて、朝鮮の会寧なのではないか、と想像してみました。そうすると、夜半に歩哨に立った三好達治が、寒さに震えながら想像の中にみた、李少年を眠らせ、李少年の屋根にふりつむ光景だったように、思えてきます。
果たしてこれは、三好のヒューマニズムが生んだ詩なのではないか、と。
会寧(ホェニョン)の地べたに転がる李少年の死体をみながら、あゝ李少年は、ふりつむ屋根の下にいて、やすらかに寝息を立てていた少年だったかも、という想念を三好が抱いていたであろうことが、何故か思い浮かんでしまうのです。日本に戻った後、いても立ってもおられず樺太に脱走する激し過ぎる行動に、「ふりつむ雪」の光景への思いが、彼のはらわたの底にあったように思います。
この詩は、そう考えると、稀にみる反戦詩なのではないでしょうか。二行詩による、これほどの反戦詩を、ほかに知りません。
この詩に、彼の憤りのつよさをみるのは、三好の後年の軍国称揚とあまりに矛盾しますが、そういうものを含み込みながら、それでも三好が書かないで入られなかった「雪」をみたいと思うのです。
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by sosakujo | 2008-11-30 07:42
「びお」の緊急特集
先導的モデルの採択を受けて、住まいネット新聞「びお」で緊急特集を組みました。先導的モデルの採択は月末といわれていましたので、慌てて原稿を書くことになり、町の工務店ネットのスタンスというか、独自の取り組み方を説明するため、かなりの原稿量になりました。
無事、アップしました。ぜひ、ご一読ください。

それに追われたため、永田さんの『設計のみつくろい』開口部が、次回更新に延期になりました。前回、原稿締め切りに間に合わなかったことはない、などと大口を叩きましたが、とんだ不始末で、お詫びします。次回更新をお待ちください。

次回更新までの間に、東京でセミナーがあります。今日はその報告書を終日、書いていました。10pのレポートになりました。明日も、その準備で終われます。どうなるのか、掛けるのか、心配です。

取り急ぎ、現況報告まで。
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by sosakujo | 2008-11-23 18:23
超長期住宅先導的モデルに4つも採択
第2回超長期住宅先導的モデル事業の採択結果が発表されました。
それに、何と町の工務店ネットが事業申請(共同提案)していた4つの提案の全部が採択されました。
関係者の皆さんに、厚く御礼申し上げます。

今回の応募は、全部で325件(そのうち一件は取り下げ)の応募がありました。
このうち4分の3の提案が新築でした。
新築部門では29件が選ばれ、このうち、町の工務店ネットが事業申請(共同提案)していた3つのすべてが採択されました。

町の工務店ネット本体が代表して事業申請(共同提案)したものは、
1.「近くの山の木で家をつくる会」 
2.BeV Standard超長期住宅プロジェクト
この2つの申請が、一括りのものとして採択されました。

Ms建築設計事務所が代表して共同提案したもの
3.杉三層パネルを使った地域材民家の普及

また、既存住宅等の改修部門で、
住宅医ネットが代表して共同提案したものが1件選ばれました。 
4.木造建築病理学「既存住宅ドック」システム
この事業対象は、今回につきましては東海・近畿とするものです。

つごう、申請していた4つすべてが採択されました。
この結果は、快挙といってよいでしょう。

事務所は喜色に包まれ、シャンパンが冷やされました。
金曜日あたりに、鍋(今「びお」で鍋の特集を用意していますので、
その試食を兼ねて)でも囲みながら、祝杯を挙げる予定です。

でも、大変なのはこれからです。
煩瑣な作業が山ほどあり、その中で、なるほどという世界をつくりあげなければなりません。

町の工務店ネットは、現在進めているスタンダードハウスを生かして「超長期先導的モデル仕様」にまとめ、工務店が容易に取り組めるシステムにします。
何が「先導的モデル」なのか、いうところの「200年住宅」とは何なのか、みんなで競い合って作り上げなければなりません。
まあ、いろいろやってみます。
次号「びお」でも、緊急特集を編みます。

まずは、ホッとしています。
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by sosakujo | 2008-11-19 18:24
X-Seed4000とブリューゲルの絵
このところ原稿に追われています。
季刊誌『住む』に連載している「森里海ものがたり」は、雪深い奥会津の木地師の村のことを書きました。前に、このブログでも書きましたが、取材した時は春号が準備されていて、季節が回って、ようやく冬号に書くことができました。ぼくは書き出すと記憶が思い起こされ、出てくるタチなので、このタイムラグは気になりませんでした。
そのあと、もう一本『住む』の原稿があって、畔上圭子さんの代筆を行っています。この筆名でのコラム的な原稿は、『チルチンびと』の編集人のときから続いており、つごう40本も書きました。編集人が本名で書くのはどうかということで、この筆名で書きした。圭子は、反対から読むとコイケです。知り合いにケイコさんが何人かいて、その人ごとに「一緒になるとコイケケイコだね」と言って、何を馬鹿なことをという顔をされています。
新建ハウジングの『プラスワン』という雑誌にも書きました。こちらは10回目の連載で、『住む』と締切りが重なるので、つらいところです。
原稿内容はともかく、これまで、一回として締切り違反したことがないのが、ぼくの自慢です。
最近は、『びお』の原稿が立て込んでいて、この間、「日本百名山 VS 日本百低山」「小さな家と二世帯住宅」、それから「七十二候」と「興味津々」を書き、今夜の更新用の原稿「超高層住宅VS 地べたに建てる家」を書き上げました。これはおもしろく書けたと思っています。

このテーマで調べていて、地上4000メートル、100万人が住む超高層建築が日本で計画されていたことを知りました。知っている人は知っている「X-Seed4000」です。この構想図を見ていて、「X-Seed4000」構想の絵と、中世の画家ブリューゲルが描いた「バベルの塔」の形態が、実によく似ていることに気づきました。今回のイラストは、それをヒントに小野寺光子さんが書いてくださいました。とても楽しいイラストで、やがてゾッとするイラストです。
昼間、佐塚副編集長のコンピュータがトラぶって、夕方から取り掛かりましたので、公開は、もう少しお待ちください。
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by sosakujo | 2008-11-17 19:45
M&Nの登場
本日の「びお」更新で、益子義弘さんと、永田昌民さんが登場します。
テーマは「明かり」。益子さんはイラストと文。永田さんは、「設計のみつくろい」で、聞き手に応えてお話をいただきました。永田さんは、「設計のみつくろい」で、この後、開口部・建具金物・太陽エネルギー利用・暖炉と、4回に亘って続きます。
このお二人は、若き頃、M&Nとしてコンビを組んでおられたのは、みなさんよくご存知のことと思います。今、袋井でお二人の設計による教会の仕事を手伝っています。全体計画がつくられて、世界がみえてきました。2万坪を超える、山を背負った、すばらしい土地です。ここに、どんな美しい教会が生まれるのか楽しみです。

びおのことを書きます。このところ、明けても暮れても「びお」です。記事を書くために、膨大な資料・書籍を読みこなさなければなりません。これを半端にやると、記事の出来にてき面に出ます。

前回のブログでも、「びお」の紹介を行いましたが、5日に1回の更新というのは、かなりハードです。けれども、スタッフが特集を担えるようになってきており、これから鍋物や、ゴミについての特集を担ってくれます。ぼくの方は「日本百名山 VS 日本百低山」に続いて、「超高層住宅VS 地べたに建てる家」を用意しています。来週月曜日の更新で発表します。
もう12月なので、そろそろ年末年始企画に入ります。
あ、その前に「一歩先を行くセミナー」がありました。がんばらなくては・・・・・・。
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by sosakujo | 2008-11-12 17:29
小さな家と二世帯住宅
きょう更新の「びお」で、タイトルにある特集を組みました。
「小さな家」と、二世帯住宅は、相反する話です。
二世帯住宅は、どうしたって大きくなります。
よく、小さく立てて、追々増築すればいいということが言われます。
しかし、壮年を迎えて家を建てる層は、両親がいて子どもがいて、家族が一番多い時期と重なります。当然に、設計は家族の要望を反映したものになります。
それを説明するには具体的な例が必要だと考え、自分の家のことを書くことにしました。
こんなふうに書きました。

わたしは現在62歳です。15年前に新築しました。そのとき、母は71歳で健在でした。
子どもは、高校生の男の子と中学生の女の子がいて、夫婦を入れて5人家族でした。わたしは47歳、カミさんは44歳。その家族のための家をつくろうと思い立ちました。
プランは、家族それぞれの要求を満たすことが基本になりました。それが2Fリビングによる、この平面図です。家の事情をよく知る奥村昭雄先生に基本プランを引いていただき、村松篤さんが実施設計を引きました。
建築費が大幅にオーバーしてしまい、あたふたしましたが、いい家ができました。
賑やかな家でしたが、そのうち娘が大学進学で東京にでました。息子は、当地で仕事をしていましたが、今年東京の仕事に就くため家を出ました。母は医療介護を必要とするようになり、病院に入り、3年前に亡くなりました。
気が付いたら、賑やかだったわが家は夫婦二人だけの家になってしまいました。1Fの個室からは人が消え、2Fだけで間に合います。建築面積は175㎡(50坪)。持て余す大きさです。減築して畑を作りたいと思うものの、総二階の建物なので、不可能ではありませんが大ごとです。
小さな家にしておけばよかった、と思うものの「後の祭り」です。でも、建てた時点の家族にとっては、この大きさでよかったのです。みんな大満足で、家族の歴史にとって、それはうれしい時間の共有を意味します。外に出ている子どもたちにとっては「ふるさとの家」になっており、帰郷したときには、もとの自分の部屋があるのはうれしいものです。けれども、2Fには予備室があり、そこに泊まることも可能で、1Fはなければなくて済むことです。
仮に、息子に嫁さんが来てくれて同居する場合には、上下階を隔てて住む、融合二世帯(多くの生活空間を共用しながら夫々が自立して暮らす二世帯住宅)になります。でも、その場合には1Fにキッチンを設ける改築を行うことになるでしょう。いきなり融合二世帯では嫁さんは抵抗があるでしょうから、共用二世帯方式となるでしょう。しかし、それもすぐにはムリで、息子夫婦は近くのアパートに住み、いずれ同居ということになるかも知れませんし、将来を含めて、同居はあり得ないということになるかも知れません。
そうしたら、この家はどうするのだ、どうなるのだということを、息子と語らずじまいで時は過ぎ行くのです。
どの家庭でも、多かれ少なかれこういう問題が横たわっていて、簡単に解けず、語らずじまいで据え置かれていませんか? 家族というものの、一つ屋根の下に暮らすのは大変なことで、すぱんすぱんと割り切ってやれるものでないのです。

さて、これを克服する案はあるや否や、きょうの更新でお読みください。
きのう、きょうは芭蕉の『野ざらし紀行』と『おくの細道』を読み込み、一文を綴りました。これは次回の「七十二候」の更新(11/17)をおたのしみに。
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by sosakujo | 2008-11-07 12:12
オバマ当選と子規の本
このところ超多忙で、ブログが疎かになっています。すいません。
アメリカの大統領に、オバマが選ばれました。これはやはり歴史的な快挙です。
言葉が人のこころに届くものであることを、オバマは証明してくれました。
もの書きのはしくれとして、とてもうれしい話です。

前にホイットマンの詩『おれには『アメリカの歌声が聴こえる』について書いたことがあります。「誰もが自分たちの歌を歌っている 昼は昼の歌を歌う 夜は屈強で気のいい若者たちが大声で美しい歌を力強く歌う」という詩です。オバマの演説を聞きながら、このホイットマンの詩を思い出しました。
オバマの演説で特徴的なのは you がひんぱんに用いられていることです。この言葉が、責任逃れのための布石なのか、君も一緒に! ということなのか、これから見守りたいと思います。

さて、最近正岡子規の本を7冊ほど読みました。子規が、死の前年から亡くなる寸前までの日々を、三度の食事の献立から病苦と死の恐怖への煩悶について書きとめた『仰臥漫録』(ぎょうがまんろく/岩波文庫)には感心しました。この頃の子規は寝たきりの病人でした。
食事も、原稿を書くのも、すべて寝たままで、子規はこの日録を綴りました。題名の「仰臥」とは仰向けのことを言います。「漫録」とは短文、俳句、日記、墨絵などによる記録をいいます。子規は仰向けのまま、筆を執って半紙に軽やかに俳画を描いたと言われます。
墨の濃淡が巧みに使われていて、仰向けでなければ出せないような描線が、薄い岩波文庫からうかがえます。
子規は、臀部や背中の膿がでるので、寝返りを打てませんでした。それでも、子規は食べ続けます。まるで食べることが生の証であるように……。

子規の本を読んだのは、「びお」で連載している七十二候のためで、知られている俳人を書くのは、特に神経を使います。次候では、芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」という名句を取り上げます。このため、今朝は芭蕉の本に首っ引きでした。
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by sosakujo | 2008-11-06 11:31