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小玉祐一郎さんの本
小玉祐一郎さんの本が、新しく出ました。これまで小玉さんが発表されてきた、住まいと環境に関するエッセイを加筆・修正して、一冊の本にまとめられたもので、ぼくが関係していた『ソーラーキャット』に1989年~1992年に掛けて書かれたものも入っています。
タイトルは『住まいの中の自然----パッシブデザインのすすめ』(丸善刊. 2400+税)です。いかにも小玉さんの本だということが、プンプンとにおってきて、あの頃のことがいろいろと思い出されました。

小玉さんとは、PLEA国際会議を奈良と釧路と2回にわたってコンビを組みました。小玉さんが全体を仕切り、ぼくは事務局長を務めました。
奈良では、奈良公園内の能舞台が演壇で、海外メンバーはもうそれだけで大喜びでした。この会議には、当時、売れっ子だった宮脇檀さんが5万円の講師料で登壇してくれました。持論の「スリッパの話」をされましたが、いつもより、少し緊張されている印象を持ちました。
釧路の会議は、厳寒期に開かれ、32カ国1000名近い参加者がありました。東京から船で、建築学科の学生たちを対象に洋上スクールをやりながら釧路に入るというプログラムを立てました。このときの学生実行委員会メンバーは、今でも連絡を取り合って交友を深め合っていると聞いています。洋上スクールの日本側の講師であった宿谷昌則さんは、お会いするたびに、この時のことを話題にだされます。
釧路の国際会議場の前にモデルハウスを建てました。このモデルハウスの実測はリアルタイムで会場前にデジタル表示され、自然エネルギーが厳寒地でも有効であることが立証されました。

あるとき小玉さんから、一言漏らされた「閉じる・開く」という言葉に、つよく感じるものがあり、それから1年間にわたり、いろいろな建築家、環境工学者の間で、OMソーラーの季刊誌を舞台にして、喧々諤々の議論を交わしていただきました。あの議論は、非常に貴重なものだったと思っています。

さて、肝心の本の紹介ですが、

1. 太陽を取り入れる
2.  熱を蓄える
3. 住まいの断熱と気密
4. ソーラーハウス
5. 風のデザイン
6. 日射のコントロール
7. 四季の変化
8. 都市の自然

の8章で構成されています。

パッシブの基本が、実に要領よくまとめられていて、何回かお聞きした小玉さんの声が、ぼくの耳に蘇りました。そうだ、これはあの講義で聞いた話だと・・・。
つまり、ずっと練られ、ずっと小玉さんが喋り、教えてこられたことが、ここに一冊の本になっているのです。これは建築の、あるいは環境の教科書として用いられるべき本だと思いましたし、そういうことに関心を寄せる人が、まず手に取るべき一冊だと思いました。
小玉さんは、国際会議によく参加されていますので、世界中のパッシブデザインが盛られているのも、この本の魅力の一つです。
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by sosakujo | 2008-08-29 18:57
アフガンで亡くなった伊藤さんのこと
アフガニスタンで「ペシャワール会」スタッフの伊藤和也さんが亡くなりました。伊藤さんは、隣町の掛川の出身で、今年31歳。ぼくの息子より年下です。
何故、伊藤さんがアフガンに行かれたのか、伊藤さんの志望動機の文書を、ここに綴ります。

私がワーカーを志望した動機は、アフガンニスタンに行き、わたしができることをやりたい、そう思ったからです。私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
その時まで、周辺国であるパキスタンやイランという国は知っているのに、アフガニスタンという国は全く知りませんでした。
「アフガンは、忘れ去られた国である」
この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッドし先生が言われたことです。今ならうなづけます。
私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そしてカレーズの会の活動に参加しているときに見せてもらったペシャワールの会の会報とその活動をテーマにした漫画、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。
私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。
反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。
私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。
私が目指していることは、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。
子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることが出来るよう、力になればと考えています。
甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に地得られるのかどうかも分かりません。しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。  2003.6.15

伊藤和也さんが、これを書かれたのは26歳になられたばかりだったのですね。
それから5年もアフガンの地で農業支援の仕事をされました。
国際貢献がいわれていますが、国がやったことは、こうした農業支援活動にとって困難をつくりだすことばかりだったように思います。現地に飛び、遺体引渡しに立ち会った中村哲先生の顔に、その無念の思いが表われていたように思います。そういう懸念を、中村先生はずっといわれていましたから・・・。
けれどぼくらは、同じ日本人としてこういう青年を持ち得たことを誇りとし、彼の真摯な生き方に学びたいと思います。
こころより、ご冥福をお祈りします。
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by sosakujo | 2008-08-29 16:53
文庫本:小泉武夫『食と日本人の知恵』
このところ料理ブログに接する機会が多くなり、この本は読んでおいた方がいい、というものにも目を通すようになりました。
その中で、おもしろくて、ためになった本に小泉武夫さんの『食と日本人の知恵』(岩波現代文庫)があります。
この本の冒頭の見出しは「日本人を支えてきた小さな紅い玉」です。まず、梅干しの登場というわけですが、一話、文庫本の2ページで96話、すべて読み切りで綴られています。
こういう本のまとめ方を、ぼくも『近くの山で家をつくる運動宣言』(農文協)でやっていて、あの場合は、きっちり2ページで一話でした。仕事の関係上、コピーを書いたり講演したりすることが多く、何行きっちりとか、何分の話とかに慣れてはいますが、この宣言書を起草したときには、短くまとまるものもあるけれど、内容自体、あるヴォリュームを必要とするものがあり、ひどく難儀したことを覚えています。

この本の場合、何故、こういう構成になったかというと、新聞連載を本にしたものだからです。筆者は農学博士で、専攻は発酵学と醸造学、出自は福島県の酒造家です。この経験を生かして、短い文章なのに、表題の『食と日本人の知恵』が、実に簡潔にまとめられていて、その見事さに、ぼくはついぞ唸ってしまいました。
この筆者の、もっとくわしい本を読みたければ、発酵食品について、漬物について、納豆について、お酒や奇食珍食について、それぞれ本がでています。しかし、一通り、食の教養として知るには、この文庫本を繰り返し読むのが一番いいと思います。手ごろで、科学的で、中身が濃く、結構、深い本です。
お奨め本です。
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by sosakujo | 2008-08-28 18:30
三澤康彦さんの建物見学会
三澤康彦さんのスタンダードハウスの建物見学会が、愛知県津島市で開かれました。
建築費が1700万円ということで、その条件の中で三澤さんがどんな設計をなさるのか興味津々でしたが、1700万円であろうがなかろうが、それは濃密に三澤康彦の仕事でした。
新しい試みがいろいろなされていて、バルコンは、前に秋山東一さんがフォルクスでなされたものよりスッキリしていて、これは工務店が目をつけるだろうな、と思いました。いっそ、「びお」の「設計のみつくろい」で書いてもらおうかと思いましたが、直近にMOKスタンダードのスクールがあり、まずその参加者にディテールを出していただこうと思いました。

この建物で特徴的なことは、使用している材料の種類が少ないことでした。木は天竜の杉、壁はJパネル(1F床も)、造作はトライウッドパネルが主で、それでこの空間と質感を生み出しているところに三澤さんの設計があるのだと思いました。

あたらしいものといえば、ホタテ漆喰壁の外壁版が使われたことでした。ずっと構想され、商品開発されてきましたが、実際の建物で用いられたのは最初のことでした
三澤さんは、先にJパネルで防火認定を取得されており、この狭い敷地で板塀の外壁がなされていました。隣地と1mも離れていなくて板塀というのは、へぇーという感じでした。ホタテ漆喰壁は道路側の壁に塗られていました。ホタテ漆喰壁の外壁版は、現在、データを取られているそうですが、遮熱効果があり、防火効果も高い数値が出ているとのこと。そういえば、ホタテを焼くと身はホカホカしていても、貝殻が焼けることはありませんものね。備前焼では、陶台に貝殻が用いられているそうで、貝殻は火に強いのです。
(ホタテ漆喰壁についてくわしくは、「びお」の特集版をご覧ください)

スタンダードハウスは、実は、実施例としてはこれが最初です。
構想であったり、その建築家のオートクチュールのものは幾つかありますが、スタンダードハウスのものとしては、これが一番目です。これから続々と例が生まれるものと思われますが、最初のものが、建築費1700万円のものであるということは、ぼくは重要なことだと思います。そのような単価でも、ちゃんと設計が通せているという点で・・・。
これまでローコストを言いながら、その実、工務店が利益を削り、いうなら建築家の顔(あるいは作品) を立ててやられることが少なくありませんでした。今回のものは、その点で画期的なことです。確かに建物の規模が小さかったということもありますが、スタンダードハウスで想定している120㎡(約36坪)まで、この単価+面積増加分でやれるとの見通しを持てました。
来月早々に三澤さんのMOKスタンダードのスクールが大阪で開催されますが、この取り組みの方向が間違いないものであることを、この見学会を通じて感じられたのは、大きな収穫でした。スクールは下記の通りです。

開催日 2008年9月3日(水)12:30~4日(木)12:30
開催地 大阪 勉強会・宿泊会場/メルパルク大阪(新大阪駅より、徒歩8分) 
当日参加費 29,000円+消費税
(宿泊費・会場費・見学会のバス費用・資料代・交流会費含む)

✽ 参加工務店は、スクールの前にMs建築設計事務所との間で「MOKスタンダード提携契約書」を締結していただきます。2年間に亙って、一種の同盟契約の性格をもつ契約です。詳しくは、住まいネット新聞びお「スタンダードハウスの運動」のページをご覧ください。

定番学校事務局  ⇒ ⇒ ⇒申込先 FAX:053-476-1313
〒432-8002 浜松市中区冨塚町2282-17 
TEL:053-476-1300(受付窓口/町の工務店ネット)      http://www.bionet.jp
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by sosakujo | 2008-08-25 12:21
北京オリンピック雑感6 張芸謀の演出
昨夜、北京オリンピックが終わりました。
この夏休み、家で仕事をしていた関係上、乍ら族でオリンピックを見ていました。夏休み後も、折に触れてみるようにしました。昨日の男子マラソンは、愛知県津島で三澤康彦さんの建物見学会があり、車で移動しながらラジオの実況中継を聞きました。クライマックスは車を停めてテレビに切り替えましたが・・・。
1位は、サムエル・ワンジル(ケニア)、2位は、 ジャウアド・ガリブ(モロッコ)、3位は ツェガエ・ケベデ(エチオピア) で、アフリカ勢の独占でした。1位、2位は、これまでのオリンピック記録を大きく破るものでした。短距離はカリブ海の島から、長距離はアフリカ大陸からというわけで、こブログでの指摘がはからずも当たりとでました。閉会式で、男子マラソンの表彰式が行われました。

で、その閉会式ですが、開会式が圧倒的だったので、そう驚くことはありませんでした。というより、開会式後、「天使の歌声」が口パクだったとか、56の少数民族の衣裳を身につけて登場した人のほとんどが漢民族であったとか、花火はコンピュータ・グラフィックが多かったとか、いろいろなことがボロボロとでて、閉会式を素直にみられなくなっていたことが大きかったように思います。

演出は、共に映画監督の張芸謀(チャンイーモー)でした。この監督の映画は、処女作の『紅いコーリャン』はじめ、ほとんど見ています。監督になる前に出演した『古井戸』もみていますし、撮影監督した『黄色い大地』もみています。ぼくが好きなのは、というより張芸謀を買っているのは、『秋菊の物語』と『あの子を探して』の監督だということです。『上海ルージュ『HERO』は好みではありません。『紅いコーリャン』も『紅夢』も、色彩にはゾクゾクしましたが、演出としては肩に力が入っていて、ぼく個人としては買っていません。

この初期の作品における特定の色の強調は、このオリンピックの演出に濃厚にみられました。
開会式について、いろいろな批判があることに対し、朝日新聞が単独会見に成功し、報じていました。それによると、「天使の歌声」の口パクも、少数民族の件も「演出で認められる範囲」とし、中国当局の見解と一緒でした。
開会式で印象的だったのは、古代中国の四大発明を絵巻にした演出でした。インタビューは、この四つを中国の発明といっていいのかという質問はありませんでしたが、ぼくは印刷はグーテンベルクと思っていたものですから、少し戸惑いがありました。
中国が偉大な国であることに異論はありませんが、見解が分かれていることまで、オリンピックの開会式で断定的にやっていいのかどうか、ヒトラーの『民族の祭典』ではありませんが、ここぞとばかりに民族の優秀さが強調されていて、しかもそれらはすべて漢民族の発見だというのですね。

張芸謀は、中国の今後の行方について、会見の中で「政治的動揺や戦争がなければ中国は安定した道を歩めるだろう。私は楽観している」と答えています。
張芸謀は、文化大革命で農村に3年下放し、工場で7年労働した経験を持っています。彼は、いうなら苦労人なのですね。そのツライ経験が作品に投影されていて、屈辱を跳ね返すエネルギーみたいなものが、この監督の底流にあります。この根の暗さと、それを覆そうというエネルギーの放出は開会式でも、閉会式でも感じたことでした。
それは、『秋菊の物語』と『あの子を探して』の演出の方向というより、『上海ルージュ』や『HERO』の方向のもので、どうだというようにキツイ演出でした。

この会見で張芸謀がいう「政治的動揺」に、異分子の排除の論理はないでしょうか。
『秋菊の物語』と『あの子を探して』には、困った現実を柔らかく受け止める弾力がありました。描写に誠実さがありました。
会見での言葉には、チベットやウイグルの人、それから手酷い格差の底辺にいる人への目の注ぎがなくて、そんなことで「政治的動揺」してはならない、そんな動きは抑え込もう(オリンピック期間を通じて、海外メディアが問題にしたのは、まさにこの点でした)とする為政者の立場を代弁しているような、そんな発言ではないのか。果たして張芸謀は変節したのか、と・・・。この会見を聞きながら、ぼくはそんなふうに思ったのでした。
たしかに、映画ではいろいろな演出は許されますが、事はオリンピックです。その演出が虚飾に満ちたものであったことを是認してはいけないのではないでしょうか。
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by sosakujo | 2008-08-25 10:39
北京オリンピック雑感5 カリブの島
野球は韓国に敗れました。敗れるべくして敗れたということでしょうか。
幸先はよかったと思います。あのスライダーピッチャーの若さ、弱点を突きましたが、徐々に金縛りにあったようになり、攻撃が単純になりました。
解説の野村健二郎さんが、相手ピッチャーの牽制球が山なりのものでしかないことを指摘していましたが、そこを突くことなく凡打を繰り返すばかりでした。中盤に青木がノウアウトで出たのに、4番の新井は初球を打って内野ゴロでした。あそこはじっくり攻めるべきところで、青木を走らせるか、大きくリードを取らせるか、何らかの指示がベンチからあってしかるべきでした。仮にあそこでもう1点入れておけば、違う試合になったように思います。
北京での星野采配の最初の躓きは、これはぼくの見立てですが、予選リーグ初戦のキューバ戦にあったように思います。あの試合で、ぼくが贔屓している宮本慎也選手が二回もダブルプレイを食らいました。ベテランは、いざというときに取って置くべきで、最初に主将が二回もダブルプレイを食らったのでは、示しが付きませんし、宮本自身、主将として他の選手にはっぱを掛けるにも憚れます。
初戦で緊張するからベテラン選手をというのは、分からぬではありませんが、あそこは村田で行くべきでした。果たして二戦目から村田が起用されましたが、散々な結果でした。失敗してもいいから、ということがないと、若いのは萎縮します。あれがずっと尾を引いたのでは、とぼくは思ったのです。
シロウトの見方ですが、また結果論でいうのですが、星野采配は、甲子園で勝ち上がるチームなどと比べて、トーナメントを勝ち抜く野球でなかったように思われました。

金しかない、と谷に言わせ、星野に言わせてきた日本のマスコミが、この金縛りを生んだようにも思います。野球の結果を伝える今朝の朝日の見出しは、「守れなかった金の約束」でした。手の平返したようにというか、酷薄なものです。

✽ 結局、三位決定戦にも負けてしまい、成田でタマゴをぶつけるという脅しまであったりして、騒然としており、これからweb上で、スポーツ紙で、週刊誌で滅茶苦茶なバッシングが開始されるものと推量されます。


さて、カリブの怪物ボルトは、400mリレーでも世界新を出しました。
日本は漁夫の利で銅メダルを取り、それはそれでめでたい事なのですが、3走のボルトからバトンを渡されたジャマイカは、朝原のはるか先を走ってゴールしていました。2位は、やはりカリブのトリニダード・トバコでした。

ぼくは前にカリブの島々を転々としたことがあります。ギアナ高地に行くため、マイアミからベネズエラの首都カラカスに入りましたが、その帰りにカリブの島を転々としながらマイアミへと戻りました。
まず、カラカスの空港からトリニダード・トバコ島に渡りました。その後、バーバドス島を経由しながら、カリブ海に浮かぶ小さな島、キャノワン島まで足を延ばしました。
ちいさな島から島を乗り継ぎながら移動するというものの、どの島も一つの国です。どの空港も、旧宗主国の影響を色濃く受けていて、言葉はがらがらと変化します。そして、それぞれの空港は、その国の現下の政情を現してもいます。
しかし、概して人びとの表情は陽気でした。空港職員は、ベンチで、木陰で三々五々居眠りしていて、放送が流れると、やおら立ち上がって気だるそうに作業に取り掛ります。のんびりしているなんてものではありません。日本人の感覚では、仕事の体をなしていませんでした。
バーバドス島は大きな島(旧宗主国はイギリス。ロンドンから英国航空の大きい機体の飛行機が入っていました)ですが、そこから小さな島へは、粗末なプロペラ機に変わります。
小さなプロペラ機に数時間揺られながら移動するというのは、ことのほか疲れるものです。着陸して、座席の狭さとプロペラの音から解放されるとホッとするものの、次に乗る飛行機は、いっそう粗末なものであったりして、そのゲンナリ感は、それを体験した人でなければ分からないことかも知れません。

ようやくのことキャノワン島に到着しました。ネックレスのように連なるカリブの島々の南端にある島で、リゾート・アイランドという振れ込みです。滑走路に着陸する前にみた、ブルー・グリーンが映える夕方のカレナージ湾は鮮やかなもので、カリブの海に来たことが実感されました。

この島は、セントビンセント&グレナディーンという国に属します。
こんな小さな島でも、入国審査はちゃんと行われます。事前の情報では、ベネズエラからの入国者は、黄熱病の予防注射の有無が問われるとのことでしたが、黒人の入国審査官は、パスポートに挟んで置いたイエロー・カードを一瞥することなく、何の質問をすることなく、簡単に入国を許可してくれました。
成田を出る時や、マイアミでの、靴の底まで金属探知機をあてる物々しさがまるで嘘のようでした。あのストレスから解放されただけでもいい国だな、と思いました。
しかし、空港からホテルまでの車中からみた島の暮らしは、決して豊かなものではありませんでした。粗末なレンガ造りの家が建っていて、痩せた黒い山羊がいて、裸足で走り回る子どもたちがいて、それを見守る肥満の老婆が、変形してた椅子にどっかりと坐っていました。
リゾート・アイランドというものの、リゾートの部分だけが有刺鉄線で囲われ、銃で守られていて、カリブの光と影を垣間見た思いがしました。

カリブのイメージは、ぼくの中では雲ひとつない水天一碧の世界でしたが、そのときのカリブの空は、白い雲が浮いていて、遠くに灰色の雲があって、その雲が空を通過するときザアーと雨が降って、その雲が過ぎ去ると、また強烈な太陽が降り注いでいました。

ジャマイカには寄りませんでしたが、ボルト選手は、あのような島の一つに育ち、島の中を走り回り、やがて選手として成長したのです。ボルトは、ジャマイカの奴隷取引の中心地だったトレローニーで産声をあげました。
カリブの選手は、普段は弛緩しているがゆえに、何かの折に、潜在しているエネルギーを噴出させるのです。それは、ーはるか昔、アフリカの荒野にあって、大地を駆け回っていた原初的エネルギーの発露ではないのか。その典型がボルトなのでは、と思いました。
カリブからは、マラソン選手はでていません。マラソンや長距離でつよいのは、エチオピア、ケニアです。カリブの島ではマラソンをする気にはならないだろうな、とぼくは思いました。これは同じアフリカ系といっても、地域性を映し出し、素形そのものが多種あることを示しているように、ぼくにはおもわれたのでした。
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by sosakujo | 2008-08-23 04:41
北京オリンピック雑感4(吉本隆明のCDのこと)
ボルトの走りは、やはりスゴイの一言です。
ストライド(走り巾)が大きく、ピッチ(足の回転)も速いのです。この二つが見事に融合してスピードを生んでいます。
100mと200mでは、走りの性格が違うらしいですね。100mでは、内燃機関の爆発力というか、いかにエネルギーを爆発させるかが肝要です。これに対し200mは、スピードの持続力、耐久性が求められます。途中でへばってはならないのです。この二つを兼ね備えるのは至難のことで、ボルトはそれをやってのけたのです。二つとも世界新記録で・・・。
彼が、コツコツとやってきたのは200mでした。02年に世界ジュニアを最年少で制覇し、04年には史上最年少で19秒台を出したものの、太ももの怪我に悩まされ、04年のアテネでは1次予選落ち、昨年の世界選手権(大阪)で2位になりました。種目は200mに限られていました。そんな選手が、この1年でがらりと変わったのは、200mでコツコツと練習に打ち込んだ結果、目覚めるように力が噴き出たのです。つまりそれは、突然変異のように記録が伸びたのではなく、水泳の北島選手がそうであったように、努力する天才が、天賦の才を引き出したのです。
スポーツが人々にとって刺激的なのは、そういうプロセスやら人間模様に惹かれて、どこか自分の人生を重ねたいからかも知れません。

ソフトボールの上野由岐子という選手も驚きでした。2日間3ゲーム28イニング413球を、一人で投げ抜いたのですから。
西鉄ライオンズの日本シリーズでの稲尾和久投手k「神様仏様稲尾様」というのがありましたが、あれを思わせるものがありました。ぼくは、あのときの手に汗にぎる思いで稲尾投手の連日のピッチングをテレビでみていました。家にテレビがなくて、小使いを握り締めてうどん屋に行き、いっぱいの素うどんで、試合の最初から終わりまでみました。稲尾が外角コーナーいっぱいに投げた速球とスライダーの投げ分けに、巨人のバッターはキリキリ舞いしていました。上野には、稲尾の時代のにおいがしました。

今回のソフトの決勝リーグでは、ピンチは何回かありました。一つ誤ると奈落の底に落ちてしまうようなピンチを凌ぎに凌いで、耐えに耐えて勝利をものにしました。あの精神力は見上げたものです。執念ということを感じました。
彼女が中学3年のとき全国優勝して、仲間の選手のお母さんから「由岐子ちゃんは才能があるから」といわれ、ひどく反発したというエピソードが今朝の新聞で報じられていました。「才能なんかじゃない、それだけ練習したんだ」と彼女は思ったといいます。
今回の勝利談話で、彼女は「まだまだ投げられる」と言いました。それだけ自分を鍛えているという自負がそういわせたのでしょうね。

『吉本隆明の声と言葉』(制作/ほぼ日刊イトイ新聞)というCD+BOOK(1500円)を買いました。それで聞いてみました。吉本隆明の講演を立ち聞きする74分という触れ込みで、これを編集した糸井重里の「吉本さんちの門前でうろうろしていてよかった、と思うぼくが、近くの友立ちに向けて手招きしているようにものだとお考えください」という言葉が帯に印字されていました。

ぼくは若い頃、『言語にとって美とは何か』(勁草書房/白い箱入りケースの本)とか、『共同幻想論』(河出書房新社)とか、『自立の思想的拠点』(徳間書店)とか、それから初期の『抒情の論理』(今、手元にありませんでしたが、未来社発行だったと思います。埴谷雄高の本も未来社でした)とか、吉本隆明のむずかしい本をずいぶんと読んだものですが、声を聞いたのは初めてでした。事務所までの通勤時間が20分なので、往復半でこれを聞きました。
『言語』に『美』を感じませんでしたが、久々に「知の力」を感じることができました。

話は途中でぶつぶつ途切れます。導入部だけ、あるいはサワリを聞かせ、あとは本体(これは28000円もする)を求めろ、ということになっていて、別に「太宰治」と「日本経済を考える」という講演が、無料ダウンロードできるようになっています。イトイの、舌を巻くような商売上手を感じさせて、少々鼻につきますが、買ってもいいかな、と思わせる力が声にありました。というか、その声を生む吉本の頭脳の動きが垣間見えるのですね。覗けるというか。

まず、無料ダウンロードして、お試しのうえ、判断することですね。
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by sosakujo | 2008-08-22 05:44
聶耳のこと 北京オリンピック雑感3 
「びお」の次回更新に、中国の国歌のことを書きました。
表彰式で何回かあの曲(義勇軍行進曲)を聞かされると、そういえばあれは、当時中国の監獄にいた田漢が作詞して、鵠沼海岸に住んでいた聶耳(ニエアル)に送られ、彼が作曲したものだったということを思い出しました。
もう30年も前に聞いた話で、ふいとそれが思い出されました。
この曲の来歴が思い出されたのは、今回だけでなく、瀋陽で開かれた留学生大会というのに、どういうわけか紛れ込んで参加することになり、そのとき人民解放軍の音楽隊と国旗掲揚隊がやってきて、勇壮にやってのけ、留学生たち(3000人もいました)は感涙し、大声でこの歌をうたっていました。

ぼくなんぞの世代は、エドガー・スノーやアグネス・スメドレーのルポルタージュを読み、毛沢東の「整風文献」や「文藝講和」を読み、ラジオは「北京放送」を聴いていた人が少なくありませんでした。北京放送から流れてくる曲は、いつも「義勇軍行進曲」でした。文化大革命が始まると、連日「東方紅」でしたが・・・。

それで「びお」に、この国歌の歌詞の変遷などを含め書いたのですが、それは23日の更新を楽しみにしていただくとして、たまたま朝日新聞の夕刊に、東京オリンピックのときの東京の空気の方が、今の北京より悪かったという中西準子さんの指摘があったとの囲み記事が載っていて、それに興味を持って準子先生のブログを拝見したら、何と、「この歌には、強い思い出がある」として、「義勇軍行進曲」について書かれていたのでした。

「この曲の作曲家はニエアル(聶耳)で、この人の記念碑が藤沢市鵠沼海岸にあるのだが、この碑を作る運動に、私の父が相当頑張っていた。その話がはじまったのは、私の中学生のときで、記念碑ができたのは、高校1年のときだったが、私はこの記念碑を作る父達の運動を、ずっと身近で見ていた。しばしば開かれた会議の隅で、皆の話を何時間でも黙って聴いていた」

ということで、記念碑建立についての経緯が書かれています。
なかなか興味深い話でした。記念碑の前で、記念写真なんぞも撮られて、載せておられます。

準子先生のブログで触れられていないのは、1958年の台風で壊される前の、1回目の記念碑(準子さんのお父さんが参加して建立された記念碑)の設計が建築家の山口文象であったことで、耳をかたちにしたデザインだったという話です。
お墓の設計は、ル・コルビュジェや谷口吉郎など、結構いろいろな人がやっていて、そのうち「びお」で特集を組もうと思っていますので、山口文象のものを含め、みなさんからの情報をお待ちしております。
ぼくの個人メールのアドレスは
koike13@sosakujo.jp
です。そっとで結構です。教えてください。
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by sosakujo | 2008-08-20 03:13
北京オリンピック雑感2
野球の韓国戦での星野監督は、冷静な判断を欠いていたと思いました。和田投手がフォアボールを出したところで交代させるべきだったとのコメントがありましたが、あの回は頭からピッチャーを代えるべきでした。2ランホームランで先制した勢いに乗って、新しいエネルギー投入すべきで、あそこで藤川あたりを使っていれば、そのまま流れに乗れたように感じました。

というわけで、シロウトが勝手なことを言えるのがオリンピックであり、スポーツ観戦です。
ぼくの言いたい放題を続けます。

女子マラソンで優勝したのは、ルーマニアのトメスクさんでした。38歳のシングルマザー。2位のヌデレバさんも子持ちの36歳のママさんランナーでした。これは凄いと思いましたね。
トメスクさんんで称揚すべきは、その勇気です。トメスクさんが20キロ地点で抜け出したとき、誰も追いませんでした。そのうち落ちてくると、みんなタカを括ったのでしょうね。暑くないコンデションなのに、遅いペースで進んでいたことを変だと思わないで、このコンデションの中で普通にレースをしたトメスクさんを変だと思ったのですね。
ヌデレバさんが自重するのはいいとして、若いランナーのみながみな、それに同調したところに、マラソンレースの醍醐味が失われました。
22歳の中村友梨香(天満屋)選手のゴール後の状態は、ヘトヘトな感じがなくて、結構元気でした。何だコイツ、もっとへとへとになるまで走れ、もっと走らなきぁ、と思いましたね。果たして監督の武冨さんも不満を感じたらしく、「レースに対応する勇気がなかった」とコメントがありました。勝負勘みたいなものが、この選手には欠如していると思いました。アナウンサーは「ロンドンに期待します」と言い、友梨香選手は「がんばります」と応えていましたが、直感的だけれど、ぼくはダメだと思いましたね。

この点で、この娘は凄いと思ったのは水泳背泳ぎの中村礼子選手でした。あの銅メタルは大したものでした。自分のレベルを知りぬいた上で、勝負勘を働かせて、冷静に、しかし勇気を持ってレースを行いました。彼女は、もうダメだというところから立ち上がるのが頑張るということだと言ったらしいですね。ぼくなんぞ、いつもそれでやっていますが、礼子さんは、ただ頑張るだけでなく、冷静にレースを見通す判断力を持っていました。そこに感心しました。

こんなふうにオリンピック観戦しながら、ぼくはというと、中野重治の『敗戦前日記』(中央公論社)を読んでいました。中野重治は好きな作家の一人で、筑摩書房から出ている全27巻の全集も持っています。『茂吉ノート』は大好きな一冊です。
この日記は、中野重治のもっとも暗い時期の日々の生活が淡々と綴られたもので、一日一行しかない日もあれば、大体三行程度のものが多く、忘備録の性格がつよいものですが、それなのに時代が見事に映し出されているところに、この作家の洞察力を感じました。
当時の中野は官憲の保護観察下にありましたので、ヘタなことは一切書けません。8月15日の天皇の「終戦の詔書」についても、

8月15日 水曜日
晴、
出勤ノ車上デ空襲、飛下リテ桑畑ニ避難。学校ノスグソバニ弾落チタ様子、12時ノ発表停電ノタメキケズ。
間モナク無条件降伏ノコトト分ル。作業中止シテカエル。

と綴られているだけです。おそらく胸に去来したものは大きかったでしょうが、何も書かれていません。しかし、このとき中野が「終戦の詔書」がどういう意味を持つかについては、誰よりも分かっていたと思います。それなのに彼は一言「作業中止シテカエル」と書いただけでした。しかし、この日記の全体を通して読むと、それまでの日常との大きな変化がみてとれます。中野重治にとっては、この日をもって戦争は中止されたのであり、終わったのです。
「終戦の詔書」は、中野にとっては「終戦」でしたが、軍国政府にとっては「敗戦」でした。天皇の「終戦の詔書」というタイトルは、この点において戦争当事者としては、正確な言葉ではなかったように思います。責任を回避し、事をアイマイに済ませる日本人の体質をよく表わしています。

まあ、そんな本を読みながら、また、テレビを見、原稿を書きながらの夏休みでした。
今日から、事務所での仕事を再開します。
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by sosakujo | 2008-08-18 06:14
北京オリンピック雑感
夏休みに、家でテレビを見ながら原稿を書いています。
テレビを見ながら、というのがぼくの特技で、食べながら原稿を書けませんが、テレビを見ながらなら書けます。で、テレビとなると北京オリンピックです。
朝から晩まで、ずっと見ています。オリンピック前半は、午前中に水泳の決勝があって、午後から柔道の予選が始まってといった具合なのですが、気づくことは、放映されているオリンピックの競技が、ごく限られた競技に偏っていることです。金メダルはめでたいことだけど、繰り返し放映される一方、何も放映されないマイナーなスポーツこそ、こういう機会にみてみたいと思いました。
この点でフェンシングはおもしろかった。銀メダルを取ったからということもありますが、あの大袈裟な装備の意味が解されたのが、ほくにはおもしろかった。本で読ん分かるとしても、テレビの絵解きでやられると、たちまち疑問が氷解されました。
卓球の団体戦もおもしろかった。ペアが作戦を囁き合うのが、妙に人間臭くて、何を相談し合っているのだろう、と興味を抱かせました。この卓球の、日本のコーチだか監督のおじさんぶりも可笑しかった。福原愛と握手するとき、ぎゅっと強く握りすぎて、愛ちゃんが困っていました。オーストリアの選手3人のうち、ふたりが中国人というのも、興味をそそられました。
フランスの柔道人にアフリカ系が多く、アルジェリアとの直接対決があって、アルジェリアが勝ったときの滂沱の涙も印象的でした。
バトミントンもおもしろかった。スエマエコンビの、手に汗握る予選もおもしろかったのですが、準決勝の韓国ペアとの戦いは、スポーツに持ち込まれた「外交」という点で、国際社会がもつややこしさを覗き見たように思いました。北朝鮮の外交の狡さがいわれますが、韓国ペアのそれも、かなりのものでした。
しかし、この前までオグシオとかばかり報道され、そんな選手もいたんだということて登場したペアが準決勝まで進出したのは快挙でした。このペアを抹殺して、オグシオばかり取り上げてきた日本の報道の言い訳を、ちゃんと聞きたいものです。
快挙にあたらない競技については、まったく無視されているものもあります。視聴率が問われる民放はともかく、NHKも、NHKのBSまでが、同じようなスポーツ報道でしかないのは考えものです。これは国際報道、政治報道、災害報道にも通じる、今の日本の報道が持つ問題そのもののように思われます。
ということをブツブツいいながら、原稿をコツコツ書いているのであります。
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by sosakujo | 2008-08-15 13:19