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小池創作所代表・小池一三のブログです
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ハビタなるもの
今回の、「長期優良住宅」は、昨年来言われている「200年住宅」に基づくものです。
肝心の法律に、この言葉は一言も出てこないのが摩訶不思議ですが、「長期優良住宅」とは「200年住宅」をいうというのが、業界の一致した見方です。
では、実際に200年住宅は可能なのか、ということになります。

「長期優良住宅」では、建物の基礎は、鉄筋コンクリートの補強を十分にすることが義務付けられていますが、その鉄筋コンクリート自体、1867年に始まったものです。
フランスの植木鉢をつくる職人が、モルタルの中にたまたま針金を網状にいれたところ、ひび割れの少ない薄い丈夫な鉢ができたというのが、鉄筋コンクリートの始まりです。つまり、140年程度の歴史しか有していないのです。日本では、1890年(明治23年)の横浜港の岸壁工事に用いられたのが最初です。
また、強度が安定しているとされる集成材が実用化されたのは、1901年にドイツのトヘツッアルという大工さんが特許を取ったのが始まりです。日本では、1951年(昭和26年)に東京の森林記念館にアーチ材が用いられたのが最初です。
これらの技術に依らない画期的な工法が生まれたわけでもないのに、どうして200年住宅をいえるのか。余程の自信家か、インチキのどちらかでなければ、そうそう口にのぼらせられるものではありません。かくして国交省は、法律にこの言葉を用いませんでした。200年住宅を言って批判に耐えられるか、という官僚的な判断が働いたのか、見識がそうさせなかったのかは分かりませんが、ともあれ、この言葉は法律から消えました。

しかし、ここに「200年住宅」を正面から掲げ、全国紙2Pを使って広告する企業が現れました。ミサワホームの代表だった三澤千代治さんが始められた「ハビタ」です。
「ハビタ」の広告では、ヨーロッパや日本の民家には有に200年を超える住宅があると喧伝され、その広告に自分たちの住宅写真を載せています。ここでは両者がまったく別のものだと言っていません。
このように、ロジックが繋がらないのにイメージだけを選考させるやり方は、三澤さんたちハウスメーカーがやってきた常套手段です。煙が出ないのにチムニーのある家と宣伝したり、街中の団地に建つのにプレーリーハウス(草原の家)を言ったり、というのと同じではないのか、とぼくなどは思ってしまうのです。

『ホールアース(全地球)カタログ』の編者として知られるスチュワート・ブランドに、
『建物はいかにして学ぶか――建てられたあと何が起きるか』(原題/HOW BUILDINGS LEARN――What happens after they're built)
という本があります。
スチュワート・ブランドはこの本のなかで、建物に「6つの層」を置き、その変化の速度を、それぞれの時間的尺度に応じた解決策をとる必要があるする説を立てています。その6つとは、(1)敷地(SITE) (2)構造(STRUCTURE) (3)外装(SKIN) (4)設備(SERVICES) (5)空間設計(SPACE PLAN) (6)家具調度(STUFF) の6つです。
この分類法は、「長期優良住宅」がもとめる、建築と時間の関係を考える上で非常に重要なポイントとなるものと考えられます。
その主旨は、「建物を単に空間的な構造物としてとらえるのではなく、じかんという要素を考えに入れ、この世界に生まれ、様々な成長を遂げ、やがては死に至る存在としてとらえなおす必要がある」(抄訳/村松潔)というものです。

「ハビタ」がいう、長く生き続けた民家や町家は、ここに述べられたようなあり方に沿ったものである筈です。ほんらい200年住宅は、朽ちるにも「6つの層」の段階があり、お手入れしてお手入れして保たれるものであって、そのお手入れ自体、半端な工事費で済まないものです。
「ハビタ」には、そういうものとして、誠実に、正確に200年住宅を伝えて欲しいと思います。
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by sosakujo | 2008-05-31 10:15
松本・中の湯・上高地・甲府
BeVスクールを終えました。松本で、美登利屋工務店さんが建てられた飛曇(ひずみ)荘に集まり、ひとしきり建物を見た後、バスで中の湯へと向かいました。中の湯まで行くのは30年ぶりです。道がまったく違います。トンネルを通ってバスは、すいすいと進みます。たいがいトンネルの手前から旧道が分れていますが、道そのものが崩落していて、この間の歳月を感じました。
松本電鉄上高地線の新島々から奈川渡ダムを通過し、沢渡に来ると、なつかしい山の匂いがしました。厳冬期は、この沢渡から歩いたものです。
中の湯は釜トンネルの手前に、峡谷にぶら下がるようにありました。安房峠に行くトンネルが開通し、それに伴って中の湯は旧安房峠に行く道沿いの高台に移転しました。それを知って「あっ! そうだったのだ」と思い出しました。いわれれば、何かで読んだ記憶があるのですが、峡谷沿いにあるものとばかり思っていたのです。
新しい中の湯は、相当高台にあって、玄関から明神岳、前穂高岳、奥穂高岳が、すぐ前に見えます。前穂と奥穂をつなぐ吊尾根の稜線もくっきりと見えます。若い頃、徳本(とくごう)峠からみた、圧倒的な穂高の風景と比べると及ぶべくもありませんが、参加者はみんな大喜びでした。
スクールは53名が集いました。一日目は、ここの座敷食堂で行われ、夜の交流会は隣の部屋の椅子式の食堂で行われました。
ぼくは冒頭、一時間の報告を行い、次に秋山東一さんが一時間、そのあと、秋山・迫英徳(鹿児島シンケン)・小澤文明(甲府・小澤建築工房)三人による座談会のプログラムへと進行しました。そのあと深夜まで交流会が続きました。この議論の内容は、BeVスタンダードのパンフレットに掲載する予定です(7月上旬発行予定)。
わたしは、その朝3時に起床しましたので早めに眠りました。翌朝、5時にお風呂に入りましたら、秋山・小澤両氏も入っていて、あれーとか言いながら、裸の付き合いになりました。
2日目の会議は6時30分食事、7時30分出発で上高地へと向いました。上高地観光センターの一室を借りてのスクールです。上高地は生憎雨でした。
この観光センターの前は、環境省の上高地インフォメーション・センターがあって、OMソーラーが登載されています。感慨無量のものがありました。
スクールは、「超長期優良住宅/先導的モデル」の申請内容の説明に大半が費やされましたが、秋山さんによる飛曇荘の解説は、建築のレトリックあるいはテクニックとしてのstack(重なり)について触れられました。
ある参加者からは、「私にとって今回の定番学校は、秋山さんの『STACK(重なり)』につきます。あのランゲージを学べたことだけでも今回の長野行きは大変な価値がありました」という声が寄せられています。朝から晩まで、ああいう話を聞きたいという参加者もいました。参加者の、氏に対する期待がどのあたりにあるのか、よく表わす話だったと思っています。

お昼前にスクールは終了し、その足で、秋山さん迫さんたちと甲府の小澤さんの建物を見に行き、その日は甲府盆地を見下ろせる「要害温泉」に泊まりました。やはり深夜まで、ああでもない、こうでもないと、これからの方向について論議を深め、翌朝、6時に旅館を発って、秋山さんの車で八王子に向かい、そこから東京駅まで、また迫さんとあれこれお話を交わし、お昼過ぎに浜松に戻りました。
取り急ぎ、そんな経過でした。
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by sosakujo | 2008-05-30 17:23
ガリ版印刷
明日から秋山スクールということで、資料を作っています。
印刷(コピー)して、帳合いして、ホッチキスで留めます。創作所のメンバー総出でやっています。といっても4人ですが。
もうこんなこと、何年やっているのだろうか、といつもこうした作業をやるたびに思います。そうです、16歳からやっています。16歳の頃に文化活動をしていました。市内の演劇部の高校生を集めて「選抜演劇部」を結成し、チラシや脚本などを自前で印刷しました。脚本はウイリアム・サローヤンの『おーい、助けてくれ!』でした。タイトルは、少し哀しいものがありましたが、市内の男女高校生30人ほどが集まりました。
あれから、かれこれ45年になります。当時は謄写版印刷の時代で、ガリ版に四角い文字を書いたものです。今でも右手の中指はペンだこが盛り上がっていて、この指をみるたびに、その頃のことを思い出します。

さて、今回の秋山スクールは、「超長期優良住宅 先導的モデル事業」を受けてのもので、応募工務店は、最終的に55社の申請(5社は追加申請します)となりました。申請戸数は200戸を超えました。果たして正式にOKになるものかどうかドキドキものですが、みなさんのご協力あって、よくまとまったと思っています。
この問題をめぐっては、ウワサがウワサを呼んで大変な騒ぎになっています。多分、発表後も、どこがどれだけ補助金を取ったかというようなことばかりが話題になるのでしょうが、ぼくらはもう、その先を考えています。この事業は、これから5年間続きます。それがこの事業の大きなポイントです。ミシュランの星と同じように、毎年申請のし直しが求められます。言い換えると、これから5年間、いかに先導的であり得るかが問われるのです。
今、後期高齢者医療制度が問われています。血税を用いて、新たな補助金制度(国交省は「持ち家政策」でやってきましたので、戸建住宅に対する補助金は初めてのことです。震災時の激甚災害のときさえやりませんでした)を開始しようというのですから、仇や疎かのものであってはなりません。今回の秋山スクールは、正面から「先導的モデルであり続けるためには、何が求められるか?」をテーマに掲げることにしました。そういう長期的な視点から、日本の住宅を考え直そうという試みである筈なのですから。

明日のぼくの報告は「『超長期先導的モデル住宅』に関するBe V standard のフレームワークとルールについて」というもので、少々うるさい話ですが、プランナーの立場から、かなりリキを入れてまとめました。
OMやフォルクスハウスを開始したときのような興奮を感じていて、鹿児島シンケンの迫さんも、秋山さんも、小澤さんも、同じような事を言っておられます。これらのメンバーが本気になり、丁々発止、タッグを組んでやりますので、おもしろくない筈がありません。
明朝5時に浜松を発ちます。
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by sosakujo | 2008-05-27 15:21
『死ぬまで遊べる本』をつくろう!
このタイトルは、ぼくの生涯の傑作だと思っているのですが、みんな曇った顔をします。多分「死ぬまで」というのが暗い、ということだと思うのですが、ぼくは「死ぬまで遊べる」というタイトルは、真底、明るいタイトルだと思っています。
工務店は、新築祝いに建築主に何をプレゼントするか、結構悩んでいます。この本を差し上げると、きっと喜ばれます。一冊、5000円位でしたら、工務店の予算にも合います。しかし、「新築祝いに『死ぬまで遊べる本』はないだろ」といわれれば、たしかに縁起でもありません。

タイトルはともかく、「住まいのメンテナンスを愉しもう!」というのが本意です。大望のためにはタイトルにはこだわりません。小異は捨てます。
この手の本はありますが、みんな半端なものです。デイドロとダランベールが「百科全書」を編んだように、諸橋轍次が『大漢和辞典』を編んだように、というと大げさですが、そんな気概を必要としている事は確かです。デイドロは、マニファクチャーとかギルドとかへ出かけていって、そこで職人 たちがやっている事柄をつぶさに観察して、百科全書を編んだらしいすね。かの百科全書は20年(1751~1772年)掛ったそうです。諸橋轍次の努力は、聞くも涙の話ですし・・・。
「時代がそれを必要としている」といっては何ですが、そんな大それたのをやるべき時機に来ていると思っています。住まいから一歩外に出るとお金が掛かる社会に成り果てていますので、住まいそのものが、この上なく愉しめるものであれば一番いいのです。それこそ「200年住宅」の基礎条件というべきで、メンテナンスフリーで「200年住宅」などはありよう筈がありません。

この本では、住まいのメンテナンスを、すべて絵で解きます。
この本の構想は、永田昌民さんから、アメリカで発行されたこの手の本を一冊渡されたことから始まりました。永田さんは、こともなげに「こんなの作れないか」というのです。ものをよく知っている人が集まらないとやれない本で、写真を撮り、順序をストーリー化したりしてイラストレーターに渡さないと描けないし、ひどく手間がかかります。この手の世界は、だらだらした内容になりがちで、D・マコーレイの『道具と機械の本』(岩波書店)のような世界を持ったものにやれると理想ですが、よほどのエデーターがいないと務まりません。
まず、Wikipediaのようにweb上で展開するのがいいと思っています。時空を越えてやれるwebの時代なのですから、これを使わない手はありません。しかし、本好きな人間としては、やはりインクのニオイがしないとさびしい、と思っています。

とりあえず、構想を立てる委員会を立ち上げようと思います。
ボランティアが基本ですが、交通費程度は町の工務店ネットに用立ててもらいます。
メリットは編集委員として名前が刻印されること、編集を検討したり調べたりする過程で、いろいろな知識やノウハウが身につくこと、本が仕上がったら一冊はもらえること、『スポック博士の育児書』のように売れたらボーナス(金一封)が出るかも知れないこと、程度かも知れません。

吾と思わん方は、非公開コメントにお名前とメールアドレスと経歴、今のお仕事、この本についての自分のアイデアなどを記して送信ください。情報は守秘します。
構想段階では、人数が多すぎてもまとまりませんので、メンバー厳選でやらせていただきます。不採用の場合はご容赦ください。そのあと、膨大な作業が待っていますので、手伝っていただきたいことは山ほどありますし・・・。

ブログへのコメントを書いていて、猛然とやる気が湧いてきて、何はともあれ、まず始めることだと決意した次第です。
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by sosakujo | 2008-05-27 07:07
あさってから秋山スクール
明後日からBeVスタンダードのスクールが開催されます。
会場は、建物見学が松本市内。スクール会場が上高地に入る手前にある中の湯温泉で、2日目は上高地の中で開きます。

ぼくは若い頃、厳冬期の上高地に何回か入っています。飛騨側から西穂高の小屋から下って入ったこともあり、新島々まで松本電鉄で行って、そこからバスで沢渡まで行き、あとは6時間ほど歩いて上高地に入りました。
冬山は、いつも単独行でした。中の湯の前の釜トンネルの手前と、トンネルの出口は雪崩の巣になっていて、もし雪崩に襲われたら死体を早く発見してもらおうと、ズボンのベルトに長い赤い毛糸をつけて歩きました。釜トンネルの出入り口はこも被りが掛けられていて、それを捲ってトンネルに入ります。中は真っ暗で、その上、勾配がきつく、油断をすると転げます。ヘッドランプを点け、ピッケルであたりながら慎重に歩いたものです。
お正月は結構人が入っていますが、2月の厳冬期は人はほとんど見かけません。帝国ホテルの番小屋である木村小屋が開いていて泊まることができますが、テント生活も悪くありません。
晴れた朝は穂高の吊尾根が桃色に染まって、神々しいまでに美しく、一人でいるのが惜しいと思ったものです。

燕岳の下にある中房温泉は泊まったことはありますが、中の湯は、いつも眺めてみていただけで泊まったことはありません。今は安房峠への道も通じ便利になったということですが、冬はどんなふうなのか、中の湯の人に聞くのが楽しみです。
スクールは、かなり中身の濃い内容になっていて、今朝も、何回か秋山さんから電話が入っています。参加者のみなさん、ご期待ください。
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by sosakujo | 2008-05-26 14:14
宮崎・谷口工務店訪問記
JR宮崎駅に着いたら谷口紀百さんが迎えに出ていて下さいました。
駅から空港への道をとり、日南海岸沿いの道を進み、飫肥(おび)の町へと入りました。飫肥は、もうだいぶ前になりますが、NHKの連続テレビ小説『わかば』の舞台になった町です。主演を務めたのは斉藤慶子さんでした。
苔むした飫肥石が家々を囲っていて、竹富島を思わせる感じがあって、竹富島と違うのは、あちらが南の島らしく、そよそよと海の風が吹いているのに対し、こちらは山々の緑が周囲を取り巻く小盆地であり、濃密に城下町であって、厳格端正な居住いを持っていることです。
近世の城下町はかつてこんなふうだったのでは、と思わせる点で、貴重な文化遺産でもあって、「九州の小京都」などという観光のキャッチフレーズでは括れない魅力を持っている町だと思いました。津和野よりもいい、というのがぼくの感想です。近頃の津和野は観光ナイズされていて、それをぼくはあまり好みません。
谷口工務店の紀百さんは、この町の出身で、お城のなかにある小学校で育ちました。お城のなかには、明治時代、外務大臣となりポーツマス条約締結を行った小村寿太郎の記念館があります。そういえばむかし、吉村昭の小説『ポーツマスの旗』を読んだな、ということを紀百さんに記念館を案内いただきながら思い出しました。あの小説を読んで感じたことは、小村寿太郎を通じて、外交とは「ガマンの才能」ということでした。そして寿太郎のガマンづよさは、どこかこの飫肥の町に似ているということを、今回感じました。
佐賀の乱に敗れた司法卿江藤新平が、四国の宇和島への逃走中途次、小倉処平に頼って、この飫肥に匿われていました。宇和島は、日南の港からは向う岸です。このあたりは、司馬遼太郎の小説『歳月』にくわしく書かれていて、紀百さんにいわれて、この小説のことも思い出されました。江藤新平という人は、大変な頭脳の持ち主で、大久保利通を持ってしてさえ、この才人を畏れました。自分が作った法律に自分が縛られる歴史のアイロニーを、この小説はいやというほど書いています。江藤新平という人は、多分、身近にいたらこの上なくイヤな奴だったと思います。しかし、司馬遼太郎は、この才人が持つ魅力を存分に描き出しました。
紀百さんは女性には珍しく司馬遼太郎の愛読者です。司馬の主人公たちの自由奔放、あるいは悪漢であっても魅力的な生き方に、小盆地宇宙の住人はどこか惹かれるのかも知れません。
小盆地の宇宙の住民は、その土地に言い知れない郷愁を覚える一方、そこから脱出したくてたまらない欲求にかられるようで、司馬遼太郎の主人公たちも、たいがいそういうシチュエーションに置かれた人物たちです。『竜馬は行く』は、土佐脱藩のあらましが、いちばんおもしろかったと記憶しています。盆地育ちではありませんでしたが、島育ちの『菜の花の沖』の主人公は、北と向かいました。

この飫肥の町並みのなかで、長屋門などがある、とりわけ飫肥らしい通りに、谷口工務店が建築された家があります。紀百さんは謙遜の人で、見てもらうような家ではありませんがと何回も口にされましたが、どうしてこの家の佇まいには上品があって、質感があってとてもいいのです。
この家の住人は季刊誌『住む』の愛読者でもあって、『住む』のバックナンバーを本箱に見つけ出し、ぼくはうれしくなりました。飫肥の町の住人が読んでいるというだけで、それはこの雑誌にとって誇らしいことのように思われました。
来るときは日南海岸沿いの道を選びましたが、帰りは山越えで宮崎に戻るといいます。わたしは車に揺られ、前日までの疲れもあって、不覚にもうとうとと眠ってしまいましたが、紀百さんに、飫肥杉の山が眺望される峠で叩き起こされ(いや、やさしくでした。笑い)ました。1000ヘクタールに及ぶ山が一望されて、ぼくの眠気はいっぺんに吹き飛びました。
飫肥杉は、”弁甲”という名の造船材で知られています。関西から西の瀬戸内海の木造船は、プラスチック船や鋼船に変わるまでは、みな飫肥杉で造船されました。このあたりの山は肥沃で降雨量が多く(年間2600ミリ)で、気候は温暖で(年平均気温18度)、油気が多く腐り難く、弾力性の高い材質となり、しかも大径材に育つということで、造船材として最適な材でもありました。
飫肥杉の赤身はシロアリが食わないといわれており、もっと利用されてしかるべき材ですが、いまは利用が少なく、山は間伐されることなく荒れていて、紀百さんにはそれが我慢ならないようでした。紀百さんは、ぼくの眠気を叩き起こしたのではなくて、山への怒りの声だったのだと思って安心し、下りの道ではまたうとうととしたのでした。
このあと谷口工務店で建てられた3軒の建物をみました。最初の瓦の家のところで、旦那の利隆さんに案内はバトンタッチされました。この家は諸塚村の木が用いられていて、諸塚村の材は、熊本のミズタホームさんの家を見て以来のことでした。二軒目の畳屋さんの家、建築中の最近の家、それぞれに宮崎産の木が用いられていました。太い梁材をみながら、ぼくのそれまでの宮崎産の木に対する見方、「材としてどうなんだろう」という疑念は払拭されました。これは多分に三澤康彦さんの評価に影響されてのことで、三澤さんの評価はかなり厳しいものがありました。もう一度、三澤さんに諸塚の木を見てもらわなくては、と思いました。
利隆さんのお話を聞きながら驚いたことは、宮崎の建築費のバカ安さでした。4000万円はするだろうと踏んだ家が2000万円以下の受注額だと聞いて愕然としました。何でそんなことでやれるのか、ということと、それで谷口さんはやって行けるのかという心配が立ちました。厳しい、と利隆さんはいうのですが、そんなに深刻というわけではありません。利隆さんは、大体そういう人であって、深刻なことであっても柔らかく、ときにニヤリとしながら受け止める人です。少し前のめりしがちな紀百さんとのコンビの絶妙さを感じたのでした。
夜は地元の商店街の人達の前で1時間半ほど講演し、そのあと宮崎食のお店に案内されました。ブロガーは、ここぞとばかりに写真を撮るのですが、ぼくはぼくの舌と胃袋にのみ、そのおいしさは記録されています。

ホテルの前を流れる大淀川の川面を南国の雨が叩いています。
今から飛行機で東京へと向かいます。
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by sosakujo | 2008-05-24 06:40
鹿児島シンケンのこと
鹿児島から宮崎に向かう車中にてこれを書いています。
錦江湾を、カーヴを描いて列車は進んでいます。島津斉彬の別邸、磯亭が遠くに見えました。曇り空ですが、桜島の噴煙が昇っているのもみえました。つい10日ほど前に噴火があったそうです。
昨夜は遅くまで、シンケンの迫さんと仕事で鹿児島に入っているMOON設計の村田直子さんの三人で、錦江湾で獲れた魚を食しながら駄弁っていました。
仙台から福岡を経由してお昼に鹿児島に入り、空港にシンケンの広報の方と村田さんが出迎えにこられ、JR鹿児島中央駅へと向かいました。
この日は、シンケンで三軒の社内検査があったそうです。迫さんは午前中に二軒の社内検査を済まされ、午後に出水(いずみ)で検査があるということで、それに同行することになったのです。そんなわけで、鹿児島中央駅で迫さんと合流しました。
鹿児島中央駅と出水の間は、八代まで通じている新幹線を利用しました。車で行くと2時間近く掛かるそうですが、新幹線だと30分です。車輌の名前は、かつてブルートレインにつけられていた「つばめ」でした。「つばめ」の車内は木質のインテリアでつくられていて、ぼくは日本の車輌中、最も美しいものではないかと思いました。ヨーロッパの特急列車のようでした。
さて、肝心の社内検査ですが、シンケンでは「社検」と呼ばれている行事です。毎回迫さんが立会い、その建物に関係した社員だけでなく、大勢の社員(シンケンは100名近い社員がいます)も参加して開かれます。毎月10件程度の引渡しがありますので、かなり大変な作業ですが、迫さんはこれを欠かさずにこなしています。
この「社検」で迫さんから指摘を受けると、社員は直ちに手直しを行います。だから社員は真剣そのもので、社員は迫さんが何を指摘するのか、固唾をのんで待ち受けるのです。
シンケンの凄いところは、高レベルの仕事を持続的に生み出していることです。仕事には出来の良し悪しがつきものですが、その巾をどこまで小さく出来るのか、それを真っ当に追求しているのがシンケンです。どこの工務店でも当然の務めですが、実のところデコボコが生じるのが現実です。シンケンの建物見学会の会場設定は、迫さんではなく営業が行います。迫さんはあれがいい、これがいいとは言いません。どの建物も水準をキープするのが当たり前のことと考えているからです。
出水の建物は70坪もある大きなものでしたが、この後、三軒の建物を拝見しました。どれも出来がよくて、ぼくは数年ぶりにシンケンの仕事を拝見して、全体力の向上をしっかり感じることが出来ました。ぼくはかつて『シンケン・スタイル』という冊子の1号に、「シンケンメソッドの確立を」ということを書きましたが、その実現を目の当たりにしたのでした。
建物を見たあと、しばらくシンケンの設計現場での迫さんの仕事ぶりをみることができました。迫さんを囲んで6名ほどの社員がいて、何だか設計道場の如くでした。
ぼくと迫さんの間には7~8年の空白があります。それを埋めたくて、ぼくは鹿児島を訪ね、迫さんも一緒の考えでおられることが分かって、久しぶりにああでもない、こうでもないと駄弁り合ったのでした。
28日~29日のBeVの定番学校には、秋山さんも、迫さんも、小澤さんも、みんな出揃います。
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by sosakujo | 2008-05-23 23:06
仙台・住まいを予防医学する勉強会
仙台・メディアテークで「住まいを予防医学する勉強会」が開かれました。
この建物は伊東豊雄さんの設計によるもので、スチールとガラスとコンクリートとプラスチックで出来た建物です。眩しいまでに美しい建物です。生態的な材料は使われていませんが、欅並木の緑がガラス前面を覆っていて、十分に生態性に溢れ、巧みなマジックを見たような感じを受けました。
勉強会は武山倫さんとSFHAのみなさんのがんばりによって、7Fのスタジオを会場にして、参加者は70名を数えました。
SFHAは、室内空気質の取り組みにおいて先駆的な活動をなさっています。町の工務店ネットの季刊誌『Ren』の3号は、武山さんとSFHAのみなさんに編んでいただきました。この分野では、ぼくは日本のメッカといっていい取り組みをなさっていると思っています。
ぼくに与えられた時間は、1時間20分。最近のアメリカの医療事情や保険の話、住まいを予防医学する要点、これからの住まいのことなどをお話しました。質問コーナーや会場とのやり取りがなかったので反応は分かりませんが、まあまあの出来だったかなという感じです。
明日は福岡経由で鹿児島に飛びます。
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by sosakujo | 2008-05-21 18:32
東奔西走
明日から仙台-博多経由で鹿児島-宮崎-東京と移動します。
そのあと、松本-上高地に、秋山東一さんの「定番学校」で出掛けます。この「定番学校」には、シンケンの迫さんがいらっしゃり、秋山東一・迫英徳・小澤文明のパネルディスカッションも予定しています。50名位の人が集まる予定で、熱っぽい集いになりそうです。
仙台は、武山倫さんが準備されてきた勉強会で、「住まいと町の予防医学勉強会」というタイトルで開かれます。会場は伊藤豊雄さんが設計された「せんだいメデイアテーク」のスタジオシアターです。150名の来場者が予定されています。娘が仙台に嫁いでいて、当日は受付など手伝ってくれるそうです。身内の前で話すのは照れますが、まあ致し方ありません。倫さんのご案内で、石巻の製材工場にも訪問します。
鹿児島は、最近のシンケンのお仕事をみるのが目的で、迫さんとも積もった話ができそうです。宮崎は、前から一度谷口工務店さんを訪ねたいと願っていましたので、それが実現されます。
待望久しい鹿児島訪問です。日本のなかで、かつてぼくが一番多く通った場所が北海道の釧路と鹿児島でした。
宮崎の谷口さんは、ご夫婦二人の工務店です。旦那の利隆さんは、伊豆で開かれた趙さんの「定番学校」に参加されました。昨年暮れの浜松でのゼミにも参加されました。奥さんの紀百さんは、やはり趙さんの「定番学校」(舘山寺会場)に参加され、大雨で飛行機が飛ばないということで、わが家にお泊りいただきました。とにかく勉強することに熱心なご夫婦で、そのお二人の根拠地とお仕事を拝見したいと思いました。とても楽しみです。宮崎では急遽、ぼくの講演会が組まれています。
最終日は、宮崎から東京に移って、秋山さんたちと、松本の「定番学校」の打ち合わせを行います。ここで当日配布資料の原稿を貰わないと印刷できませんので、しっかり貰ってくるようにとスタッフから念を押されています。秋山さん、ちゃんと用意しておいてくださいね。

ここ一週間は、3本の原稿を書いていました。ようやく脱稿しました。
旅に出ても書いていますので、浜松にいるのと、旅に出るのとどちらが楽か区分けがつけにくいのですが、ぼくは旅に出ている方が、意外と疲れません。車窓からの眺めを楽しめるのが一番大きいのかもしれませんが・・・。
民俗学者の宮本常一が、郷里を離れるとき、列車が駅に入ったら、その町が何で食っているのかをよく観察しろといわれ、それが自分の原点になっているということを何かに書いていましたが、ぼくの場合も、書物からということもありますが、旅で見聞きしたものが大きいように思っています。
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by sosakujo | 2008-05-19 12:12
水﨑建築の建物見学会
5月10日~11に掛けて、水﨑建築の建物見学会が開催されました。
雨中に関わらず114組253名の来場者があり、とても盛況でした。この工務店は、大工工務店です。営業マンはいません。これまで水﨑建築がどうやって仕事を得てきたかというと、すべて紹介です。今回、ぼくの方でパンフレットを作成したのは、水﨑さんのお仕事を、多くの人に知ってもらいたいためでした。営業マンの代わりになれば、と考えてのことです。
しかし、むずかしいのは、たくさん注文があっても一度には応えられないことです。仕事が丁寧(ということは、ゆっくり)なので、一年に何棟もやれません。
今回の建物も、細部に至るまできちっとした仕事で、ぼくとの打ち合わせのため、ちょうど大阪から三澤康彦さんがいらしていて、「丁寧な仕事だ」と唸っておられました。
大工の仕事がいいとほかの職方の仕事も違ってきます。左官の水野さんが塗られたほたて漆喰壁は、これこそがほたて漆喰壁なのだ、と納得させるものがありました。また、ムクリ屋根の板金仕事もよく、全体が高いレベルで保たれていました。
質問で多かったのは、今回の建物については、予算が掛けられているけれど、自分のところは、ここまで予算を掛けられない、これほど凝らなくていいけれど、こうした空間や材質感を手ごろな価格でやれないものか、というご質問でした。そこで村松さんのスタンダード住宅「Bio森の家」が登場します。このシリーズによって、あらかじめ標準的な設計を考えておいて、それを活かして注文で家を建てる方式です。
設計料も工事費も割安(設計の標準化と仕入れの合理化など)になっているので、利用する人が多くなるといいなと思いました。
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by sosakujo | 2008-05-12 15:03