title
小池創作所ロゴ
小池創作所代表・小池一三のブログです
以前の記事
2013年 05月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
最新のトラックバック
現代町家塾
from ShopMasterのひとりごと
芍薬(しゃくやく)
from aki's STOCKTAK..
敵こそ、我が友 /MON..
from aki's STOCKTAK..
住まいネット新聞「びお」..
from simple pleasur..
住まいネット新聞「びお」..
from ONE DAY
こんなのができました♪「..
from ONE DAY
京都議定書 アメリカ
from 地球温暖化
京 静華 プレオープン
from irei_blog
静華
from 徒然ダメ日記 およそTANT..
チベット自治区ラサへグー..
from グーグル地図で世界遺産巡り〜..
リンク
検索
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
AX
<   2008年 03月 ( 19 )   > この月の画像一覧
バンドン精神
毎日のニュースで気になるのはチベットのことです。
今朝(3/28東京版)の朝日新聞8面の国際欄でチベットのことが、大きな紙面を割いて報道されていました。ダライ・ラマの要求は、民族の独立ではなく、高度な自治実現にあるのであって、その対話路線自体が中国当局に受け入れられず、そんな穏和なやり方ではラチがあかないと考える底流がチベット人の中に芽生え、それが今回の騒動の根にあるという分析がなされていました。現在の波状的な動きや、ダライ・ラマが出した声明の切実さなども、この記事を読んでよく分かりました。
記事のなかに、四川省成都で聞いた漢族の声として「おれたちは蔵蛮子(チベットの野蛮人)と呼んでいる」「豊かにしてやっても、寺に寄付してしまうから意味がない」という、チベット人への蔑視が声が拾われていました。この漢族の感情が中国政府の強硬な姿勢を支えていると、この記事は結んでいるのですが、北京オリンピックを前に、漢族は絶頂的な気分を持っていて、その驕りが、今の事態を招いているようです。
世界各地で紛争が絶えませんが、何故、かくも熾烈なのか、それは民族とはアイデンティティそのものだからです。

1955年に開かれた、アジア・アフリカ会議(Asian-African Conference、AA会議)で定められた「バンドン十原則(ダサ・シラ・バントン)」を、今こそ想起すべきだと、ぼくは思っています。この会議では、インドのネルー大統領、インドネシア大統領スカルノ、エジプト大統領ナセル中華人民共和国首相周恩来が一緒になって、この宣言を決めたのでした。

1. 基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重
2. 全ての国の主権と領土保全を尊重
3. 全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する
4. 他国の内政に干渉しない
5. 国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重
6. 集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない。
7. 侵略または侵略の脅威・武力行使によって他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
8. 国際紛争は平和的手段によって解決
9. 相互の利益と協力を促進する
10.正義と国際義務を尊重

このバンドン宣言は、当時のアジア・アフリカ各国の民族独立の流れを決定づけました。この歴史を勉強したとき、これを中心になってまとめたネルーと周恩来は偉い! と思ったものです。
後に、中印間で国境紛争が生じ、この宣言は破綻をみるのですが・・・。

この宣言は国内問題をテーマにしておらず、「他国の内政に干渉しない 」とは、アメリカに対する異議申し立てにありましたが、中国のような多民族国家にあっては、国内の民族問題を、このような精神に立って解決をはかるのがいいのでは、とぼくは考えています。
バンドン宣言は、「バンドン精神」とも呼ばれていて、大切なことは、この十原則を勝手に解釈することではなく(ミャンマー政府が「他国の内政に干渉しない」 ことを理由にしたりしている)、その精神そのものにあるのだと思います。
中国は、もっと腹の大きな国だったと思っているのですが、チベット問題をみていると狭量というか、今のやり方では解決は遠いと思わざるを得ません。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-28 08:10
山口由美さんの『箱根人の箱根案内』
友人の山口由美さんの『箱根人の箱根案内』の新版がでました。前のものは新潮社(OH文庫)から出ましたが、新版は千早書房刊です。
帯には「箱根通になるための特選・105話」「『箱根人』がそっと教える、ちょっとディープな箱根の話」と印刷されています。文庫版は100話ちょっきりだったので、5話増えての新版です。全体を読んでの印象は、文庫版のときよりも深いものを感じました。
彼女は、旅行作家でありますが(小説も書いておられます)、富士屋ホテルの創業者山口仙之助は曾祖父でありまして、同ホテルのレジスターブックに残る、孫文だの、フランク・ロイド・ライトだの、チャプリンだのと箱根の縁が語られていて、単なる旅行案内書ではない本になっています。
特に60話の「太平洋戦争と箱根」のページは歴史秘話になっていて、箱根という場所が持つ存在の重さが感じられました。日本の中での「箱根人」なる存在の不可思議さは、この本を読まないと解けないと思いました。断面の切り取りも、その描写も、なかなかの筆力で、飽きることはありません。
彼女の住居は、一時、富士屋ホテルのキッチンの上部の部屋でした。そうしたエピソードの数々を彼女から聞いていたので、この本がとても身近に感じられました。
箱根に行かない人にもおもしろい本です。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-27 12:12
宮崎産のスイートピー
趙さんの「定番学校」の日、天候が荒れていて飛行機が飛びませんでした。このため宮崎の谷口紀百さんは、足止めを余儀なくされました。お聞きしたら、翌日、早朝の便だといいます。空港へのバスは5時台の出発というわけで、それは大変だと思い、拙宅に泊まっていただくことにしました。
そのお礼にと、谷口さんからスイートピーの花が送られてきました。
そんな気づかいは無用なのに、と思っていたのですが、それでも花の頼りはうれしいものです。いち早く、宮崎の春を感じた花が、その彩りと香りまでを届けてくれるのですから・・・。
スイートピーは、イタリアのシシリー島が原産地だそうですね。
宮崎県がスイートピーの栽培が盛んなのは、シシリー島に似て、冬暖かく晴れた日が多い気候によります。主要な生産地は北郷町(きたごうちょう)という町で、地図でみたら、日向灘に面していました。そうか、冬晴れの日向灘からの、いち早く春を知らせる便りなのです。
スイートピーは、全国一位の出荷量を誇る宮崎を代表する花で、北郷町がその中心とか。
さらに北郷町のスイートピーの栽培のやり方を調べて行くと、花は何といっても日持ちが問題なので、温度や明るさを調整して、期間毎の基準を設けているとか。北郷町には日持ち検査室まで設置されているそうです。
スイートピーのパステル調の色彩と香りを届けようと言う、栽培農家の心意気を、ぼくはこの花に感じたのでした。宮崎の冬場はれの光景が目に浮かんで、たのしいひとときを過ごさせていただきました。谷口さん、ありがとう。
スイートピーの花言葉は、「門出」だそうですね。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-26 05:57
秋山東一の「定番」が動き出した
趙海光さんに続いて、秋山東一さんの「定番」が動き出しました。
趙さんがいう『七人の侍』の二人目の「侍」です。
この春の「れんれんゼミin大阪(4月23日~24日・会場/大阪建設交流館 近々に詳しいプログラムが発表されます。日程を空けておいてください)では、さらに何人かの建築家の提案が予定されていますが、何はともあれ、秋山東一という大きな山が動き出しました。

秋山東一さんは、日本のスタンダード住宅の嚆矢(こうし)とされる、フォルクスハウスとBeハウスを生んだ建築家で、いわゆる定番的な住宅を、ずっと追い求めてこられた建築家です。
その秋山さんが「フォルクスハウスを超えるフォルクスハウス--次世代スタンダード住宅」に挑もうというのです。
これは工務店にとって、かなり興奮できる話です。

この木曜日に、秋山さんとわたしと、村田直子さんを交えて第1回の準備会合を持ち、昨日の土曜日は、秋山さん設計による長野・美登利屋さんの松本の現場にて、佐賀井尚さんにも加わっていただき打ち合わせを深めました。
松本の現場には、木曽アルテック社の斉藤寛親さんもお見えになり、話し合いに加わっていただきました。木曽アルテック社は、美登利屋さんの建物の床(赤松材)や、台所などのカウンターの漆塗り、高野槇の浴槽などを担当されていて、秋山さんの「素の建物」に、漆塗りが実によく似合っていることを再発見しました。
秋山さんは、かつて木場の木曽アルテック社のモデルハウスの設計を担当されていて、ぼくは、木曽アルテック社というネーミングの名づけ人でもあるのです。久しぶりに齋藤さんにお会いして、漆に対する変わらぬ情熱を感じたのでした。

秋山さんとは、来月3日に東京でも打ち合わせを予定しています。
趙さんの「定番学校」の評判がすこぶる高く、そのよき刺激が秋山さんに伝播したかたちになっています。仕掛け人のぼくとしてはニコニコできる話です。このお二人が牽引車になっていただいて、新しい「設計言語」が生み出され、それを工務店が学んで地域実践を繰り広げたら、かなりおもしろいことになるとみています。
このお二人とは、違う手法のスタンダード住宅になりますが、三澤康彦さんとは来月早々に、村松篤さんとは、すでに数回打ち合わせを深めていて、共に4月の「れんれんゼミin大阪」で発表いただく運びになっています。「れんれんゼミin大阪」では、ほかに「ドミノ住宅」に取り組んでおられる半田雅敏さん、「標準化設計」に取り組んでおられる伊礼智さんからも発表いただく予定で、永田昌民さん、野池政宏さん、趙さんとぼくの発表も予定しています。京都南座の歳末恒例の「顔見世興行」ではありませんが、これらメンバーが「出揃うゼミ」が、今度のゼミの一大特徴になっています。秋山さんは、イラストレーター小野寺光子さんとのトークセッションに登壇いただきます。

秋山さんの話に戻します。
秋山さんは、建築現場に立ちながら、ああでもないこうでもないとディテールを掘り下げる手法を採用されていることから、その設計図の大半は建物自体にあります。今回のテキストをまとめる上でも、またこれを機会に一冊の本にまとめたいと考えているぼくとしては、図面がないことが一番の悩みです。
秋山さんの仕事に、ずっと付き合ってこられた佐賀井さんや大川さん、工務店の方々、村田直子さんにも協力してもらって、建築現場で書かれたスケッチや、散逸している図面、建物の実寸をあたっての図面起こしなどを始めます。これをどこまで進められるかが大問題です。それがまとまれば、それ自体が有力なテキスト(秋山さんの定番学校は5月下旬に予定)になることから、大急ぎで取り組もうと言い合っています。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-23 06:41
新事務所を祝う会
新事務所に移転して1ヶ月。お披露目をかねて、引っ越し祝いの会を開きました。
ぼくらの引越し祝いは、これまで仕事つながりの方々、友人中心のものでしたが、今回は趙さんの定番学校のメンバーが加わり40名近くに膨れました。50坪の建物とはいえ、もともと個人住宅なので、20畳のリビングと8畳の和室が会場となり、狭いなか、結構盛り上がりました。

秋山東一さんも駆けつけて下さり、趙海光さんと談論風発。秋山さんが「日本ちょー産党」の結成を言い出したりして、相当、脱線気味ではありましたが、愉快愉快。

料理は、静華の宮本シェフが、4月下旬に京都岡崎での開店を前に、存分に腕を奮ってくれました。はじめは、わが事務所員や村田直子さん、縣美樹さんなどが包丁を握る予定で、宮本シェフは監修の役目に限るはずでしたが、最初から終わりまでほとんど宮本シェフの世界と化し、しかも、その朝に市場で仕入れた真鯛を、和風のお刺身・中華・あら煮と、普段みられない献立で作ってくれました。「まかない飯」と謙遜していましたが、みんな出てくるたびに「ほー!」と歓声を挙げていました。
殊に佐塚は、餃子のつくり方、焼き方の秘伝をシェフから伝授され、生涯最高の日などと口走り、餃子屋を少しばかり夢にみたようでした。ノウハウは細部に宿る、というのは建築やグラフィックデザインにも通じる話です。

醤油・酢・みりんなどは、自然食の「あさのは」さんで買い込んだもので、店主の杉浦昭子さんもお嬢さんと一緒に駆けつけてくださいました。そういえば、自宅の池に自生するフキをいただきました。早春のフキは香りがつよく、春の気配を一気にかもしてくれます。このフキと、市場でもとめた早ものの筍による炊き込みご飯もおいしかったです。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-20 08:08
趙海光さんの「定番学校」(第二回)
1月に趙さんの「定番学校」を開きましたが、大変に好評で、第二次募集はいつかと問い合わせを受け、18日~19日にかけて急遽開催しました。参加者は29名を数え、前回以上の賑わいとなりました。
第一回の印象では、おもしろいやり方だけど、上級者向けのシステムという感じがつよかったのですが、今回の学校では、積み木を使ったプランの展開など手法の展開がはかられたこともあり、これならやれるとみんな思ったようです。
参加者アンケートをみると、
・ 内容が濃く、プランの考え方など、目からウロコがとれた。
・ 資料も分かりやすくて、お話の内容もよく分かりました。
・ 技になり、物件があれば、すぐに出来ます。
・ 設計をしていない私にとっても分かりやすく、理解ができた。
・ 間取りから入らないやり方は今まで考えになかった。あとはプレゼンの仕方。
・ 押し付けるのではなく、プロジェクトメンバーとしてのスタンスが特に良かった。
・ 新しい感覚・新鮮な感覚を発見しました。
・ 設計手法として、とても興味深いお話でした。
・ 内容は濃い。各地で実践していく意欲がみられたこともシゲキになった。
・ 説明が丁寧で分かりやすかった。特に模型とプレゼンキット。
・ 第1号が心待ち。各地の現場に出掛けていって学びたい。
1回目、2回目と勉強の内容が自体進化していて、趙さんの意気込みの強さを感じました。
年度末ということもあって、予定していて参加できなかった工務店から、早くも3回目の声が掛かっていますが、学校自体は当面開かないようにして、工務店による実行・実現にエネルギーを注ぎたいと考えています。
オープンモデルで建てようという動きもあり、モニターをさがして実現しようという動きもあり、工務店に設計、趙さん自身の設計と、いろいろ進みそうです。この「定番学校」の眼目の一つは、建築家による「定番(工務店がつくるスタンダード)といえる家」の提案と共に、各地の工務店の設計・仕上げ・工事、コストなどの知恵と工夫に学び合い、ノウハウを共有し合うことにあります。
モニター募集のチラシについては、わたしの方で制作します。可能な限り、みんなで見合って、みんなで検証し合い、そのことによって、趙さんの設計言語を「現地化」することに意味があります。
おもしろくなりそうだ、という予感を抱かせるに十分な学校でした。
趙さん、お疲れ様でした。
参加のみなさま、お疲れ様でした。
これからですぞ!
[PR]
by sosakujo | 2008-03-20 07:40
チベット暴動と映画『アルジェの戦い』
チベットラサに始まった暴動は、四川省、甘粛省、青海省まで広がっています。北京では、人民代表大会(国会)が開かれており、北京オリンピックを5ヵ月後に控えての出来事です。

ぼくは今回のラサでの、一見突発的ともみえる暴動をみながら、映画『アルジェの戦い』を思い出しました。この映画は、ジロ・ポンテコルヴォが監督し、アルジェリア独立戦争を描いた作品です。1966年度kベネチア映画祭においてグラン・プリを獲得しました。ドキュメンタリータッチで描かれたこの映画によって、ぼくは北アフリカのアルジェリアで繰り広げられた民族独立戦争の実相を知ったのでした。数千人におよぶ目撃者の証言、記録、写真を調べ上げたにもかかわらず、映像としてはニュース映画のただ一コマも使わずに、実写も及ばないリアルな映像になっていて、公開当時にこれをみたぼくはつよい感動を覚えたものです。
撮影の舞台になったのは、ジャン・ギャバンの「望郷」で名高いカスバでした。蟻が這い出る隙間もないほどに、フランスの軍政が敷かれる中での民族運動で、主演のアリ(彼の本職は漁民でした)の演技も印象的でしたが、八万に及ぶ全住民がエキストラとした感動的なクライマックス・シーンは、モンタージュとは何かを示す好例として、友人たちと議論したものでした。

この映画を、何とイラク侵略を続けるペンタゴン(米国防総省)が鑑賞会を開いて、仏軍の軍事行動を検証していたというニュースを数年前に知りました。それでビデオで、もう一度、この映画をみました。公開当時も鮮烈でしたが、その後、映像などでベトナム戦争、アフガン戦争、アフリカでの民族紛争の現実をみてきたこともあって、より身近なものに感じられました。
ペンタゴンでの鑑賞会の話を知って、アメリカは改まるのかと思ったら、結局、アメリカは何もこの結果に学んでいないことを、その後の事態の進行は示しています。ファルージャでの出来事は、その後のことであり、あのような暴虐が民族心を呼び覚ますことをペンタゴンは理解していなかったのです。

中国がチベットを軍事侵略したのは1951年でした。多くの仏教徒を虐殺し、ラマ教の由緒ある寺院を破壊しました。8年後の1959年、ダライ・ラマはインドへ亡命し、臨時政府を樹立しました。ラサにチベット民衆の蜂起が断続的に起こったのは、1987年からで、89年には戒厳令が敷かれました。そのときの弾圧の責任者が現中国の国家主席胡錦濤でした。チベットのラサは、チベット語で「神の地」という意味です。この「聖域」を、中国は軍事力を投入して踏みにじったのです。
チベットにも、アルジェのアリがいて、 しきりに地下で動いていることでしょう。今、チベット人が願っているのは、映画『アルジェの戦い』のクライマックスであり、民族の独立解放でしょう。

しかし、為政者としては「一つの中国」「豊かな中国」を破壊する元凶と映ることでしょう。それは為政者だけでなく、中国の多くの民衆のものでもあって、このナショナリズムに火をつけることによって乗り切ろうとするのが、為政者の方策となっています。
魯迅がいうように、恐れるべきは、「暴君の下の民衆は、暴君よりも暴虐になる」ことです。
中国の大都市住民の多くにとっては、今の繁栄、今の豊かさを破壊する奴ら、という見方が濃くなっているものと思われます。
中国のナショナリズムを最高潮に運ぼうという北京オリンピックを前にして、民族の相克が繰り広げられるのは、何とも哀しいことです。
「中華は一つ」という概念から、この国の人々が解かれるのは、いつのことでしょうか。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-18 04:20
チベット問題に触れて
魯迅のことを書いたので、今の中国について触れます。
チベット問題が深刻な様相を呈しています。この問題は、北京オリンピックに向かう中国にとって、喉元に突き刺さった棘みたいなもので、何とも悩ましい問題です。今朝は四川省に住むチベット族の暴動があったとのテレビ報道がありました。

前に西安に行ったとき、ウイグル族が住む街区に、ふいと立ち入ったことがあります。大晦日の日でした。街区にある寺院に寄り合い、新年を祝うパンをみんなで焼いていました。めずらしい光景なので、それをぼくはじーっと見ていました。それに気づいたおばさんがぼくに笑顔を返してくれました。ぼくもにっこりと笑いました。そうしたら、そのおばさんがパンを持ってぼくのところにきて食べなさい、といいました。ぼくはうれしくいただきました。
今度のことを、あのおばさんは、同じ少数民族として、どんな気持ちでいるのかと気になりました。

ぼくは、もし秦の始皇帝が中国を統一しなかったら、という仮説を立てた(というより想像した)ことがあります。言葉も、文化も違うのに、始皇帝によって強引に統一されたわけで、もし始皇帝があらわれなかったら、ヨーロッパのように分割していておかしくなかったのではないか、と思ったのでした。
実際、中国の各地(ぼくは何十回とこの国を訪ねました。広西壮族自治区の南寧にはよく通いました)を旅して分かったことは、中国は言葉も文化もさまざまで、多様きわまりないということでした。漢民族を含め、中国には55の民族がいます。中華人民共和国憲法は全ての民族を「中華民族」と規定していますが、この括りに同意できない民族もいることでしょう。今回の暴動は、そのことを表わしています。
アメリカは合衆国であり、かつてのソヴェトは連邦でした。しかし、中国は一つであり、一つの中国であることが、中国では為政者の使命とされてきました。中華という言葉は、世界の中心を意味し、このようなつかみ方は、始皇帝が中国を統一したことによって始ったのです。
そして、中国がほころびをみせるのは、都市の叛乱というより(五四運動などの例外はありますが)、たいがいは地方の叛乱によって起こりました。三国志の歴史の幕開けとなった黄巾の乱も、王朝の崩壊と亂世の幕開けをもたらした太平天国の乱も地方から起こったものでした。毛沢東の中国革命も、都市革命というよりも、多分に農民革命の性格を持っていました。
毛沢東が英雄とされたのは、やはり大中国を統一したからであり、混乱をもたらした文化大革命の失敗を経て、なお中国が毛沢東を国父としているのは、統一の破壊を現在の為政者が恐れているからだと思います。
胡錦濤国家主席は、チベットを鎮圧したことで出世した人物です。その人物にチベットを抑えられるわけがありません。したがってチベット問題は容易に解決が得られない問題です。
ダライラマのインド亡命政府は、分離独立よりも、「合衆国」的な枠組みを求めており、文化の復権を挙げているのであり、世界は、こちらに共感を寄せることでしょう。

今朝の朝日新聞の月曜コラムに、英エコノミスト誌編集長ビル・エモット(『日はまた沈む ジャパン・パワーの限界」』草思社で有名。これはおもしろい本でした)の、『世界をよむ』が掲載されていました。さすがに鋭い分析で、現在、中国で起こっている点描的にとらえながら、「中国が大国へと上昇しようとする今年は、物価高や汚染問題に取り組む年になる」ことを予測しています。今回のチベットの叛乱の背景に、深刻なインフレ(2月の消費者物価は前年同期比の8.7%増)があることをビル・エモットは指摘していて、この暴騰が続くと社会不安は切迫せざるを得ず、チベット問題が大きな叛乱の導火線になり得るのかも知れません。

日本にとってきわめて影響の大きい、隣国の問題を注視して行きたいと思います。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-17 06:15
魯迅と「阿Q」を囲む群衆
魯迅の話を続けます。
晩年の魯迅は上海からほとんど動かなかったのですが、そこに名を成した魯迅を訪ねて、日本から文化人たちがやってきて会見をもとめます。魯迅をよく分かっていないものまで、魯迅を訪ねてきました。そして魯迅に会った感想を、それら文化人たちは日本の雑誌や新聞に掲載します。魯迅はそれを読むたびに、日本と中国の間に横たわるミゾの深さを感じたと言います。
魯迅の虚無的諧謔を解するのは日本人にはむずかしく、魯迅は、日本人ほど結論を好む民族はいないと述べています。痛烈な皮肉です。中国のある一面だけをみて、中国を分かったように書き、魯迅の片言隻句をとらえて「厭世作家」などと書いたのです。
たしかに魯迅の文学は明るくありません。「それは1920年から30年代にかけての中国の歴史そのもののなかに内在した暗さを反映したもの」だと佐々木基一(『魯迅と現代』岩波書店)は書きます。魯迅の周りには分からず屋がうようよいました。
魯迅は『阿Q正伝』に書きました
「世論はどうかというと、末荘では、一人の異論もなく、当然阿Qを悪いとした。銃殺に処せられたのは、その悪い証拠である。悪くなければ、銃殺などに処せられる道理がないではないか」
魯迅のいう「寂寞」とは、この阿Qを取り囲む、仔細も分からずに、分かろうともせずに「銃殺せよ」と叫ぶ群衆のなかにいる、魯迅その人のことだったのではないでしょうか。
このような衆愚的なあり方は、魯迅の時代の話に尽きるものではありません。「発展こそ美しい」といって狂奔する、今の中国にもみられることです。

最近、原研哉と阿部雅代の対談集『なぜデザインなのか。』(平凡社)という本を読みました。これはとてもおもしろい本でしたが、この本のなかで、原研哉さんは「バブルを経験して、富というものがどういうものか、そのはかなさやもろさを身をもって体験した」日本からみると、今の中国は「ブランドが案外虚しいということも、お金持ちになることのリスクもわかっていない。ただひたすら変革のはざま、ものすごくキメの粗い欲望が、お金と一緒にふつふつとたぎっている」ことを挙げています。これは理性的なものを削がれたことによる事象であって、そのとき理性的なものが「広場の孤独」に置かれるのが、魯迅がいう「寂寞」です。
日本で小泉元首相によってやられたことも衆愚的なものでした。「構造改革」を叫び、それに反対するものに民衆をして石を投げさせました。結果生じたことは、いつそうの疲弊をもたらす「新しい構造」でした。あのとき、日本ではホリエモンが称揚され、勝ち組負け組みが話題となり、「ものすごくキメの粗い欲望が、お金と一緒にふつふつとたぎってい」たのではないでしょうか。

魯迅は、1902年から1909年まで満7年のあいだ日本に留学(仙台医学専門学校)します。そこで魯迅は、いわゆる「幻燈事件」を経験し、肉体の治療よりも精神の改造だということで文学の道を選びます。そのときのことを、魯迅は『藤野先生』のなかで書きます。
学校において映し出された幻燈の映像は、「むろん、日本がロシアと戦って勝っている場面ばかりであった。ところが、ひょっこり、中国人がそのなかにまじって現れた。ロシア軍のスパイを働いたかどで、日本軍に捕らえられて銃殺される場面であった。取囲んで見物している群衆も中国人であり、教室のなかには、まだひとり、私もいた。『万歳!』彼らは、みな手を拍って歓声をあげた。この歓声は、いつも一枚映すたびにあがったものだったが、私にとっては、このときの歓声は特別に耳に刺した。その後、中国に帰ってからも、犯人の銃殺をのんきに見物している人々をみたが、彼らはきまって、酒に酔ったように喝采する--ああ、もはや言うべき言葉はない。だが、この時、この場所において、わたしの考えは変わったのだ」(岩波版)
魯迅に「暴君の下の民衆は暴君よりも暴虐である」という有名な言葉があります。この暴虐に抗する術は、理性を働かせるほかにありません。魯迅には「流されない」理性がありました。

仙台医学校時代の魯迅を救ったのは、一人の教師、藤野先生の人格でした。それによって救われたのは魯迅だけでなく、日本が救われたのでした。もしこの人格なかりせば、魯迅の文学における日本人像は酷いものとなったでしょう。
『藤野先生』は、魯迅の小説のなかで、ぼくがとりわけ好きな一冊です。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-16 21:09
『ふくろうの声 魯迅の近代』を読む
買ってあって、いつか読もうと思いながら、なかなか手の出ない本があります。中島長文さんの『ふくろうの声 魯迅の近代』(平凡社)もそんな一冊でした。
魯迅は好きな作家の一人で、折に触れて読んでいます。この本は、魯迅の日本留学中の足跡について書かれた本で、本の帯に「魯迅の声はなぜ低くくぐもるのか」と印字されています。この時期の魯迅を書くことは重い話で、それを想像して、買ってはあったけど読まないでいたのです。第一、タイトルが暗いではありませんか。ふくろうは、梟という漢字です。この漢字の下に首をあてると梟首という単語になります。晒し首の刑を意味します。柱の天辺に止まっている姿から呼ばれたのでしょう。魯迅は、魯迅によからぬ感情を持つ人の間でふくろうと呼ばれていて、そのことを当人も知っていました。日本留学中のことでした。
ぼくがまえに、紹興の街を訪ね魯迅の生家を訪ねたことを書きました。あの建物は、魯迅という人がどこから出てきた人なのか、そのことが魯迅の文学にどう刻印されているかを感じさせるに十分なものがありました。
この本は、魯迅の作品そのものを対象として書かれたものではありませんが、この本を通して、魯迅の文学の深層を覘き込んだように思われました。
筆者は、
「デマとか流言とかいうものは、要するに大衆操作の方法であるから、本来的に人を不快にさせるかもしれないが、ここにはそれを流した者の心性の下劣さというようなものが現れている。そして同時にまた無意識のうちにそれを聴き言うを楽しむ者に同じ趣味を期待している」
と書いていて、魯迅が相手にしたところの闇をそこにみたのでした。
日本時代の魯迅は藤野先生の人格によって救われました。そして、それによって日本自身が救われたのでした。
魯迅は、この先生のことを小説『藤野先生』に書きました。ぼくの大好きな小説の一つです。岩波文庫に入っています。
[PR]
by sosakujo | 2008-03-16 13:07