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小池創作所代表・小池一三のブログです
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今年度のグッドデザイン賞
  今年度のグッドデザイン賞に、埼玉・小林建設さんと、東京の相羽建設さんが受賞されました。共に旧くからの仲間の工務店です。
  小林さん、相羽さん、まことに、おめでとうございます。
  賞のタイトルに「グッドデザイン」が掲げられており、二社の建築デザインが高く評価されてのことですが、二社の受賞理由について、それが単体の建物のデザインの優劣というだけでなく、「大きなデザイン」が評価されてのものであったことをお聞きしました。この二社の仕事の社会性、あるいは時代性が評価を受けたのです。それをぼくは、勝手にここで「大きなデザイン」と言っているわけですが、ビューティー(きれい)か、アグリー(見苦しい)かということではなく、それからまた、ちまちまとした造形を指すのではなく、二社が造られた家と工務店の全体形態が、「グットデザイン」なのだと評価されたのだと思います。
  この「大きなデザイン」という言葉は、OMソーラーの考案者である奥村昭雄先生の論文の表題でもあって、技術の社会性への視点を絶えず大事にしてきたことが、長い目で見て、こうした結果に結びついたように思います。
  かといって、社会的な視点が良ければ、即ちデザインがいいということにはなりません。そこが難儀なところで、ぼくがOMソーラー時代を通じて言い続けたことは、OMソーラーを入れたらいい家になるとはいえない、ということでした。やはり、デザインを練磨し、デザインの形態そのものが美を発しなければ、いい家とはいえません。工務店にとっては、建物そのものが地域に対する表明であって、その評価が伴わなければ支持を得られないのです。
  そのためには、何よりも普段の努力が大事です。
  二社は、よく精進され、デザインの勉強に努力されたのだと思います。この授賞を共に喜びたいと思います。

  つい最近拝見した、滋賀・平野住建さんの菩提寺の家を、秋山東一さんがめずらしくベタ褒めされていました。平野さんは、15年前に秋山さん設計の建物を手掛けられ、悪戦苦闘しながら工事されました。そのときのことを振り返ると、顔から火が出るほどに恥ずかしく、未熟だったという平野さんが、キツイ秋山さんを納得させるまでに腕を高められたのです。何が平野さんを変えたのかと質問したら、みんなから勉強したからと答えられました。
  わたしが企画を担当している町の工務店ネットでは、来年、秋山東一さんと一緒に、フォルクスハウスの奥儀を究める上級者スクールを開催したいと考えています。趙海光さんのスクールも計画しています。そこからまた、多くの人からデザインを評価される仕事が輩出することを期待したいと思っています。
  
  
  
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by sosakujo | 2007-10-27 09:39
『ご冗談でしょう、ファイマンさん』
  今朝の朝日新聞の「ひと覧」に、福原義春(資生堂名誉会長)の話が出ていました。福原さんが、文字・活字文化推進機構の初代会長に就任されたという記事で、文字や活字の衰退を「今からでは遅いかも知れないが」と述べられ、率直な憂慮を吐露されていました。
  福原さんとは、朝日新聞の元編集委員で、鎌倉市長を務められ、現在インターネット新聞JANJANの代表を務めておられる竹内謙さんが、毎年、鎌倉腰越の家で開かれていた観櫻会で何回かご一緒しました。ホストの竹内さんと、築紫哲也さんや、三木睦子さんなどと、福原さんが談笑されているのを、ぼくは隅っこで聞いていたという、そんな遠い関係でしかありませんが、博識のある方だという印象をつよく持ちました。
  朝日新聞の「ひと覧」では、「ひとは食べ物から体の栄養をとり、本で人間らしさを養う。人間らしくいきるには両方欠かせません」と述べておられて、若い人に薦めたい本はと聞かれて、即座にノーベル物理学賞受賞者、ファイマンの『ご冗談でしょう、ファイマンさん』(岩波現代文庫)だと答えておられます。ファイマンの「奔放で縛られることのない、彼の考え方と行動に学んでほしい」と、福原さんは言います。
  そうか、福原さんはファイマンを愛しておられたのだ、と思いました。
  この本は、ぼくはずいぶん前に読んでいて、ファイマンの、確かめずにはいられない子供のような好奇心に感銘を受けたものです。
  ファインマンのお父さんは、鳥の名前を聞かれると、中国語だと何々、ポルトガルでは何々と答えます。しかし、それはデタラメな名前で、「あの鳥が何をやっているのか、よく見るとしようか。大事なのはそこのところだからね」と言います。鳥の行動をファイマンと一緒に追うのです。名前を覚えるよりも、肝心なことをファイマンに伝えたことが、後に朝永慎一郎と共にノーベル物理学賞を受賞することになるのです。
  ぼくは、こうしか考えられないということではなく、こうも考えられるという発想法の基本を、この本に教えられた、と思っています。
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by sosakujo | 2007-10-26 09:23
秋山スクール
  今日から近江八幡と信楽を舞台に秋山スクールが開催されます。
  平野住建さんがホスト工務店で、平野さんが滋賀県こだわり住宅賞を受賞されたお仕事を含め三軒の建物を見学し、近江八幡の商家、信楽に建てられた秋山東一さんのお仕事を見学したりします。
  スクールは、秋山さんが設計された陶房のゲストハウスで開かれます。
  冒頭の、わたしの報告の一部を掲載しておきます。

  システム住宅研究会1(秋山スクール)
  負けないデザインを学ぶスクール
  日時: 10月23日(火) 13:00~ 10月24日(水)
  主催:町の工務店ネット
  スクール開校にあたって/問題提起:小池一三(小池創作所)

  邸宅とは何か?

  工務店のなかには、「邸宅」を建築する工務店があります。
  「邸宅」とは、かの西山卯三(「食寝分離」を理論化した建築学者.この理論は第二次世界大戦後の日本住宅公団に影響を与え、「nDKモデル」を産んだ)によれば、
 ⓐ 建物の規模が大きいこと
 ⓑ お金が掛けられていること
 ⓒ 手のこんだ仕事であること
 ⓓ 設備が行き届いていること
 ⓔ その時代の最高の技術が使われていること
 ⓕ 自らの富や権力を示すステータス・シンボルというる建物
 ⓖ 珍しい造形(建築家に仕事を依頼)
 ⓗ 庭をめぐらせた大きな屋敷構えであること
 ⓘ その土地の一等地に建っていること
 などが条件とされます。
 そう見てくると、工務店の多くは、「注文住宅」という名前の擬似「邸宅」を建てているのであって、「邸宅」を建てているわけではないことに気づきます。つまり、工務店が建てる「邸宅」のなかには、
 ⓐ ほんとうの邸宅
 ⓑ 擬似「邸宅」
 があります。本当の「邸宅」を建てている工務店は、われわれの仲間にもいますが、本当の邸宅を建てている工務店は、ごく限られていると考えてよいと思います。
実際には、後者が圧倒的であって、ほとんどの工務店は、邸宅でもないのに「○○邸」とか現場看板に出して建てています。「邸」と呼ばれると、建築主が喜ぶのは分かりますが、言葉の正しい意味で「邸」と言えるかどうか疑わしい安普請の家までが「邸宅」にされてしまっているのです。
 この根にあるのは、階層的な発想です。ヒエラルキー(位階・序列)で住宅を考える発想です。これは住宅だけではなくて車についてもいえて、かつてのトヨタのキャッチフレーズ、「いつかはクラウンへ」は、その最たるものです。「注文住宅」という言葉も、この文脈の中にあり、「注文」というだけで高級、いいものという思い込みがあり、その意識をくすぐることで受注を得ようという魂胆で満ち満ちているのが、この業界です。
 車についていえば、トヨタは新たに「レクサス神話」をつくろうと躍起になっていますが、かつてのようにはスムーズに運びません。それは車の位階・序列の考え方が、「お金があっても4WD」とか、「環境を考えてハイブリットカー」とか、根本から変化してしまったからです。

  フォルクスハウスの登場は、
  一つの住宅革命だった。

 住宅については、まだまだ「邸宅」的発想が蔓延(はびこ)っています。
 それでも、ここ数年来、大きな変化が生じていて、たとえばわたしが
 「日本建築は、部屋の四隅がきれいな点に特徴がある」
 というと、なるほどと肯(うなず)く人が増えてきました。これは比較住居学の世界であって、高度な話であるけれど、「その方がすっきりしていていい」ということで分かっていただけるのです。つまり、透明でシンプルなあり方というか、そういう好みの話として理解されるようになりました。それが今生じている根本的変化です。
 フォルクスハウス的住宅が受け入れられたのは、この根本的変化を背景としており、それはこの住宅を、1904年にオーギュースト・ペレによって建てられた打放しコンクリートの元祖、パリ・フランクリン街のアパート建築のエピソードを紹介しながら、「木造打放し住宅」とコピーしたことに始まります。
 ペレは、当時石材より安価で造形に富むコンクリートを、芸術的な造形に高め、剥き出しのままで仕上げするコンクリートを構造体に採用したのですが、それを見たほとんどの人は「これで完成?」と首を傾げたそうです。フォルクスハウスを最初に見た工務店が、最初に発した言葉も「これで完成?」というもので、「邸宅」的発想に、どっぷり浸かっている工務店には、およそ理解し難いものとしてあったのです。
 しかし、ユーザーはそれを素直に理解してくれました。
 それがここに述べている根本的変化です。「木造打放し住宅」でいいのだ、「すっぴん」でいいのだ、という建築主がたくさん現れたのです。今では「木造打放し住宅」は、業界の中で、一つのあり方として公知の事実となり、さまざまな亜流を生んでいます。「木造打放し住宅」の元祖は、何といっても秋山東一さんで、兵庫・プレストの宝川さんは「フォルクスハウスは、われわれにとって革命的な出来事で、あれ以来、ムク材の家であれ、何であれ、自分たちのつくり方が変わった」と言っています。
 フォルクスハウス的な発想は、台形集成材で家をつくることに活路を見出した趙海光さんのティストにも共通していて、それは鉄道の枕木を組んで家(生闘学舎)を建てた高須賀晋さんの仕事とも重なっているようにぼくはみています。
 一つの系譜というか、水脈みたいなものがあって、それを工務店運動としてのポジショニングを得て、一つのブームに高めたところに秋山さんとフォルクスハウスの功績があるのであって、この井戸を掘った秋山さん(菅波貞夫も)や、趙さんらに、ぼくは敬意を表したいと思います。井戸を掘った人が、もう少しおいしい水を飲んでいいように思うのですが・・・。

  良きパタン
  定番ということ

 先日、名古屋のコスモホームさんの仕事をみんなで見る機会を得ました。そこで感じたことは、コスモさんは良きパターン、定番と呼べる世界をつくられたな、ということでした。これは生半(なまなか)なことではありません。
 というのは、日本のプレハブ住宅は、プレハブといいながら、まったく定番を生んでいないからです。ミサワが一時「O型の家」を流行らせましたが、すぐに陳腐化されました。日本のプレハブはプレハブではなく、つまるところ「商品化住宅」でしかないのです。
 町の小さな工務店であるコスモホームさんが、住宅を陳腐化しないで、定番として育てていることに、ぼくは町の工務店の一つの生き方、方向をみました。
 このあり方は、コスモさんが拠点とする地域性を映し出していて、ある大きさの土地、ある家族像、ある限られた予算が踏まえられていて、その枠組みの中の極上住宅との印象を強く持ちました。
 ユーザーは、自己のライフに即してコスモを選ぶという感じで、不安がなく、ムリがなく、少しだけ値が張るけれど、手の届く住宅としてあるのです。
 これこそまさに、「質の高い住宅を、手ごろな価格で」とキャッチフレーズを掲げたフォルクスハウスの基本コンセプトに合致しており、当初の狙いとするところでした。そしてそれは、工務店の仕事の基本を成すものだと、ぼくは思っています。
 工務店は、拠点とする地域にあって、最大公約数(標準)的住宅を、ちゃんと造れることが大事です。お金持ちのクライアントをありがたいお施主(お施主という言葉を解くとホドコシの主)と考え、「邸宅」を造ることを希望していますが(実際には擬似「邸宅」ばかり造っているのですが・・・)、平均的な住宅というものを、もっと大切にすべきです。おいしい定食をちゃんと作れる飯屋が少ないように、良き定番住宅を造れる工務店があまりに少なく、そこをきちっとやれているコスモさんを、ぼくは偉いと思いました。
 おいしい定食作りを基本としながら、セレブな要求にも口笛を吹きながら応えられる技量を持つことが理想といえば理想ですが、まずはおいして定食を提供できるようになろうではありませんか。

  パタンランゲージ(原型言語)で
  設計を考える
 
 パタンランゲージという言葉は、アレグ・サンダーの名著によって一躍有名になりました。あの厚い本は設計事務所を訪ねると、たいがい置かれていて、ぼくが「あ、『パンランゲージ』だ! 読まれていますか?」と聞くと、どうも読まれた形跡が感じられない場合が多くて、「いつか読もうと思って買ってある」と頭を掻きながら言い訳する方が多い。設計は図面で表すものであって、言葉に表すのは、建築家はどうも苦手のようです。
 しかし、秋山東一という建築家は意外と言葉が好きな建築家で、いまも「ブリコルール」をめぐって盛んにブログで論じられています。フォルクスハウスを進めているときにも、スチャート・ブラントの『建物はいかにして学ぶか――建てられたあとに何が起きるか』という本を教本にして、「住まいは完成しない」ということを、しきりに口にされました。ぼくや村田直子さんは、秋山さんが言う言葉を聞き漏らさないよう記憶に留め、メモに取り、そして『ルールブック』をまとめたのでした。
 この『ルールブック』を読み直すと、フォルクスハウスのパタンランゲージ(原型言語)になっていて、これをしっかりと、正確にもう一度勉強し直す必要を感じていて、この機会にこれをまとめることにしました。
 以下、ぼくの「秋山東一のパタンランゲージ(案)」を提案します。
 このスクールでは、これを種にして、得心が行くまで秋山さんから聞き出すべきことを聞き出し、議論を深めたいと思います。


 テキストは、当日の参加者と町の工務店ネット登録メンバーに配布されます。
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by sosakujo | 2007-10-23 06:57
魯迅先生
  ぼくは魯迅先生を偉い人だと思っています。それで魯迅の出生地の紹興を訪ね、記念館は、この紹興のほか、北京、上海、広州のすべての記念館を訪ねています。むろん、仙台の街に行くと、『藤野先生』の話をいつも思い出し、何故、魯迅が文学を志したかに思いが及びます。
  紹興の記念館は、旧居・祖父の家・三味書屋・陳列庁と、四つの建物から構成されていて、さすが魯迅の生まれ故郷ならではのスケールと言えるものでした。紹興は、女性革命家秋瑾(しゆうきん)が生まれ、活躍した街でもあります。秋瑾は、日本にも留学した人で、革命と婦人の解放に奔走して、33歳の若さで処刑され、短い生涯をおくった女性です。非常に激越な性格の持ち主で、東京での秋瑾は、和服姿に日本刀をいつも携えていたといいます。
  紹興の記念館に、この秋瑾の写真がありました。凛とした気品を漂わせ、大変な美貌の持ち主です。秋瑾は、論争相手と意見が食い違った時に、激昂のあまり短刀をテーブルに投げつけたといいますが、こいうい女性に短刀を投げつけられるなら諦めがつくと思わせるチカラが、この写真にありました。
  魯迅も秋瑾から短刀を投げつけられた一人でした。さすがの魯迅も辟易としたのではないかと思いましたが、しかし魯迅は処刑された秋瑾を、愛惜を込めて「薬」という小説に書いています。小説では男性として扱われていますが、名前の夏瑾から分かるように、明らかに秋瑾です。きれいな人は得だな、ということもあるかも知れませんが、秋瑾はそれだけでないものを秘めていたように思います。詩人もそうですが、若いまま、美しいままで亡くなった人は、そのままで人々の脳裏に記憶されるので、醜く老いるよりも、それはそれで幸せです。ちなみに武田泰淳の「秋風秋雨人を愁殺す」は、この秋瑾の伝記小説です。
  さて、魯迅の生家は裕福な官僚地主の家で、紹興でも指折りの名家でした。
  その家の道路と水路を隔てて、三味書屋という建物があり、それも記念館として残されています。この建物は、魯迅が子どもの頃に通った小さな私塾です。小さな、というのには意味があって、大勢の人が学ぶ場を必要としていなかったのです。魯迅の家は代々中央の高官を輩出する家でしたが、それはごく限られたエリートの世界であって、「秀才」は作られるものでもあったのです。
  魯迅の生家は大層立派なもので、一見大店(おおだな)を思わせる造りでしたが、中央官吏の故郷の家であったわけで、官吏が持ち得る、その絶大な資力というものに今更ながら驚嘆しました。
  魯迅は、この家で何不自由ない少年時代を送っていました。12歳の時に突如不幸が襲います。祖父が逮捕されたのです。科挙(旧中国に行われた官吏登用のための、中国の特殊な資格試験)の最終試験に合格できない息子(魯迅の父親)をみかねて、試験管に賄賂を贈ったことがバレての逮捕でした。当時としては大変なスキャンダルで、このため魯迅の家は没落することになります。その辛酸は、皮肉なことに魯迅の最初の現実覚醒の契機となりました。
  この故居の隣に飲み屋があって、それは魯迅の祖父がサイドビジネスで開いていた店でした。この店は魯迅の小説「孔乙己」の舞台になったもので、記念館の隣に再現されていました。「孔乙己」は、科挙を志しながら落ちぶれたアル中の主人公を描いたもので、タイトルの「孔乙己」は、その主人公の名前でもあります。孔乙己は、この店に現われてはツケで酒を呑み、みんなの笑い者になっていました。しかし、時折発する警句は知識人のそれで、その落差を、人はまた笑うのでした。
  魯迅に、絶望があるから希望があるという有名な言葉があります。
  どうしょうもない気持ちに陥ったとき、ぼくはこの魯迅の言葉を思い出して、魯迅の上海時代の絶望の深さを思うのでした。
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by sosakujo | 2007-10-15 18:29
勝ち組・負け組
  前回は、山形での森里海の会で話し合われた「勝ち組・負け組」の話に触れました。
  しかし何ですね、「勝ち組・負け組」とは貧しい言葉です。6億円の結婚式を挙げたセレブの花嫁がいましたが、原資はパチンコというではありませんか。息抜きにパチンコをやるのは否定しませんが、あれに費消される電気エネルギーの膨大さは半端ではありません。まあ、この花嫁の指輪はパチンコ玉で、セレブのお洒落を感じさせはしましたが・・・。
  『住まいを予防医学する本』の取材では六本木ヒルズを取材しました。居住棟の夜景を撮りましたが、もしこの建物がスラム化したらどうなる、ということを想像しました。あのあたりは昔ながらの金魚屋さんがあって、あそこらあたりは六本木辺地と呼ばれた場所でした。
  スラム化した六本木ヒルズとその価値を比較すると、断然、金魚屋が元気だったときの方がいいと、ぼくは思います。
  今、中国は「発展こそ美しい」といって走っています。
  それなら聞きますが、あの四合院を壊してビルをぶっ建てることが美しいのか。
  胡同(路地)の奥の四合院は、魯迅が住んだそれも、茅盾や老舍が住んだ家も、郭沫若の家も見ました。四合院の中庭に坐って、彼らが書いたあれこれに思いを寄せたものですが、これら記念碑的な建物を除くと、故居・四合院は壊滅的な状態にあります。
  この内実が、果たして「美しい」といえるのか。ぼくは今の中国の行き方は間違っていると思っています。おそらく数十年後、美しいものを破壊したあの時を、中国人はきっと、酷い時代として思い起こすことになるとみています。

  さてさて、「勝ち組・負け組」ですが、これは工務店の間でもいわれていて、どこもマーケッティング的な発想に捉われているようです。
  一棟でも多い受注が得られればいいのは分かりますが、たくさん受注した工務店が「勝ち組」で、取れない工務店が「負け組」なのかどうか?
  取れないのは困りますが、継続すればいい、持続すればいいと考えて、たくさん受注を獲らない工務店があります。自分が責任を負える仕事数を置いて、それが満たされれハッピイと考える工務店があっていいし、そういう工務店が一番豊かなのでは、とぼくは思っています。
  「勝ち組・負け組」で裁断するのではなく、どういう仕事を地域に残しているのか、それが評価軸になるべきで、最大の後継者教育は、どういう建物を残しているかということにある、というのがぼくの考えです。お金は二代目がバカだとなくなりますが、建物は残りますから・・・。
  問題は、そういうことで昂然と胸を張っていられる状態をどう生むかということです。のんびりと構えていられない現実が一方にある中で、誠実にこの解をもとめたいと思うのです。
  
  
  


  
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by sosakujo | 2007-10-11 18:52
パイナップルのアイスキャンデー
  米原駅は東海道本線と北陸本線が接続する駅で、国鉄時代の鉄道の要所でした。いまでも金沢に行くときは、新幹線で米原まで来て北陸本線に乗り換えるので要所であることに変わりありませんが、東海道線に電気機関車が走るようになったころ、ここで蒸気機関車の付け替えが行われたこともあり、停車時間が長くて、妙に印象に残る駅でした。
  というより、駅の売店でパイナップルのアイスキャンデーが売られていて、毎夏一回、加賀のおばさんの家に遊びに行くことが年中行事になっていて、その折にそれを買って食べることがキマリになっていました。だから、強くこころに残る駅と言った方がいいのかも知れません。
 ただ、この駅でパイナップルのアイスキャンデーを食べるのは、キマリといっても、京都から加賀に向かう行きのときだけで、帰りの便では買ってもらえませんでした。だから行きの便は大変興奮状態にあり、小さな円錐形の近江富士が見えるとそわそわして、母にせがんだものです。もう50年も前の話です。
  このパイナップルのアイスキャンデーは、パイナップルを輪切りにして凍らせたもので、今考えるとどうということはないのだけれど、その頃は、年一回のぜいたくの一つでした。冷たくて甘い黄色い塊が、喉を通るときの快感は、これはもう言葉に言い表すことができません。
  こういうぜいたくをいつから忘れてしまったのか、と時々思います。貧しかったのだけれど、そのぜいたくさは、今求めてもありません。 
  せんだって山形金山町杉沢集落の栗田和則さんを訪ねたとき、勝ち組と負け組の話になりました。この二者択一でない、もう一つのあり方、それはスローであったり、スモールであったりするのだけれど、その価値に気づいたとき、勝ち組と負け組の不毛さが浮かびあがるというような話を交わしました。
  パイナップルのアイスキャンデーを、この上ないぜいたくとしていたとき、それは下流社会の一つの姿ではあったけれど、間違いなく豊かだったと思います。
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by sosakujo | 2007-10-07 17:00
200年住宅
  ぼくは毎月一回、「地域マスター工務店」に原稿を書いています(結構、サボることも多いのですが)。それで次回のために、昨日、国会で福田首相が所信方針演説で述べた「200年住宅」について書きました。一般の人は読めないページだそうですので、それを転載しておきます。「地域マスター工務店」の方は、一般の人も読めるいろいろな記事が出ていますので、そちらもご覧ください。


   先日、滋賀県の平野住建さんに案内していただいて東近江の五個荘の商人屋敷を見て回った。作家の外村繁さんの実家でもある外村宇兵衛邸の母屋は、万延元年(1860)ということだから、築後150年近くになる。大工仕事の丁寧さが伝わってくる家で、黒光りした柱も梁にも何ともいえない風格がある。
  この家は、余程の地震に見舞われない限り、もう50年くらいはびくともしないだろう。しかし、いまこれだけの仕事をやれる大工が何人いるのかといわれれば、そう簡単な話ではないと思われた。
  そこで思い出したのが福田首相の「200年住宅」であった。
  200年ということになると、そもそも鉄筋が入った基礎で大丈夫かということになり、「釘が危ない」ということになるだろう。ナチュラルパートナーズの大江忍さんから、釘の写真を撮るため、薬師寺の再建で使われた白鷹幸伯さんの釘をお借りしていて、それを眺めながらつくづく思うことは、今の軟かい釘がどれだけ持つかということだった。
  あらゆることを根本から考え直さないと200年住宅になりようがないわけで、福田さんはその建築費をどう考えているのかと思った。
  所詮、35年の住宅ローンで造る建築費は知れていて、昨日の所信演説では税制うんぬんがいわれていたが、その前に建築費が大問題である。まず住宅ローンの制度を根本から見直さない限り、絵に描いた餅でしかない話であって、それを一国の首相の所信方針演説で述べていいのか、その根拠を考えているのかと、ぼくは今朝の新聞を読み、商人屋敷を思い出しながら、つい冷笑が浮かんでしまった。せめて元金年1%の100年ローンを制度化してからいうべきことではないのか、と。2500万円の予算が1億円になるなら、かなり結構なものが建てられる。200年で計算すると、補修費が相当に掛かったとしても、それでもトータルで考えると安い。
  商人屋敷を見ながら、今のお金に直したら建築費は幾ら位かなと、同行した「町の工務店ネット」事務局長の山崎博司さんに聞いた。彼は「それは高いやろね」と言い、続けて「そやけど200年で割ったら、今の平均価格より安いのやないか」と言う。奈良の寺社建築を専門に手掛けてきた山崎さんらしい話で、ぼくはこの理屈が妙に気に入ったのだった。
 


  
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by sosakujo | 2007-10-02 11:31