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島崎爽助さんが、ご自身のブログ alpshima に『1952年 自由が丘」という一文を書かれていて、そのブログに久保栄のことをコメントしました。
久保栄は、当時、自由が丘に住んでいて、そこを「不自由が丘」と命名していました。戦後状況の中で生きづらかった、この劇作家の自虐的とも取れる話で、精神的にも参っていた頃でした。ぼくは久保栄と面識はなく、亡くなったあとにその存在を知り、小豆色した箱に入った全集を買い込み、『久保栄研究』という雑誌を講読していました。久保は、自由が丘で『日本の気象』や『林檎園日記』などの戯曲を書き、小説『のぼり窯』を書きました。この小説は、よほどリキが入っていたのか、「真の意味のローマン小説」だと自分で言ったりしていて、そんなことならと読んでみて、改行が一つもない小説に難儀したことを覚えています。 自由が丘の隣町の柿木坂に、戦前の、築地小劇場、新協劇団から久保栄と盟友であった宇野重吉が居を構えました。宇野さんとは生前面識があって、浜松の豊岡で演出ノートをまとめられているとき、お手伝いするため宿所を何回か訪ねたことがありました。チェーホフや、『にんじん』の話、戦前のプロレタリア演劇の話など、いろいろなお話をお聞きし、その折、久保栄のエピソードもあれこれお聞きしました。 そんなことを爽助さんのブログにコメントしたところ、爽助さんから『モダンリビング』1955年夏号が送られてきました。この雑誌には、宇野さんの家が出ていて、爽助さんが育った久我山の家も出ています。 久保栄が亡くなったのは1958(昭和33)年なので、宇野さんが柿木坂に転居されたときには、自由が丘に住んでいて、行き来があったものと思われます。『久保栄研究』の座談会記事か何かで、宇野さんが久保栄の家を訪ねたことが出ていた記憶があって、そう書いているわけですが、宇野さんは神経の細やかな人なので、大変だったろうと想像されます。 劇団民芸は、没後『火山灰地」(この一節を書いた宇野さんの色紙が、ぼくのオフィスに飾ってあります)も、『日本の気象』も、『林檎園日記』も再演しています。爽助さんと因縁の深い『夜明け前』(脚本/村山知義 演出/久保栄)も再演されていて、それらをみんな、ぼくは観ています。 by sosakujo | 2008-10-06 11:46 | Trackback | Comments(0)
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