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小池創作所代表・小池一三のブログです
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住宅のグローバル化
 『住み家殺人事件』(松山巌著・みすず書房刊)という本が発行されたのは、04年の夏でした。
 この本に書かれていることは、あまりに嘆かわしい、今の住宅の現実です。
 「建築を新たにつくることは、近代に入ってテロリズムの色彩を強めている。なぜなら、それ以前の時代とくらべれば驚くほど短時間に周辺環境を変え、人間関係を変えてしまうからだ」
 「安易で底の浅い、つくってみたところで真実味などない、こわしたところで悲しむこともない」
 建物が濫造されていて、
 「建物をつくっては壊し、壊してはつくる時代とは、じつは文化と生活と人間関係の連続殺人の時代ではないだろうか」
 と、松山さんは断じます。とにかく松山さんは烈しい。秋霜烈日のごとく。
 住み家について、こういう評論があり得ることを、わたしはこの本を通じて知りました。建築することは破壊を伴うことであり、そのことを自省しない輩の何と多いことか。農業にも、林業にも同じことがいえますが、少なくとも自省があれば、すでにあるものとの緊張が生じます。この緊張のなかでものはつくられるべきであり、それを欠いているのは、ほとんど殺人を犯しているに等しい、と松山さんはいうのです。
タチが悪いのは、エコを言い、「地域主義」などという言葉を掲げながら、その実、「安易で底の浅い、つくってみたところで真実味などない、こわしたところで悲しむこともない」建物を生んでいることです。そういう建物を、わたしは「住宅のグローバル化」と括っています。
 この言葉が、ふいと頭に浮かんだのは、昨秋、哲学者の内山節さんが書かれた、『「里」という思想』(新潮選書/1,155円)という本を読んだときでした。  
 「世界を席巻したグローバリズムは『ローカルであること』を次々と解体していった。たどりついた世界の中で、人は実体のある幸福を感じにくくなってきた。競争、発展、開発、科学や技術の進歩、合理的な認識と判断——私たちは今『近代』的なものに取り囲まれて暮らしている。本当に必要なものは手ごたえのある幸福感。そのために、人は『ローカルであること』を見直す必要があるのだ」
 建築は、どうであれ地域の風景をかたちづくるのであり、建築した以上、その責任は免れません。ローカルを解体する住宅に対し、地域工務店はどうあるべきか。まず、経営に対する考え方を点検すべきだと思います。
 わたしは、地域工務店はお金にガツガツしてはいけないと思っています。経営は継続であり、利益を生むことは必要不可欠なことです。赤字でいいわけがありません。しかし、目先のお金だけ追っていると、知らぬ間に地域工務店にとって大切なものを見失ってしまいます。
 最終的に地域に残すべきは、一軒一軒の家であり、仕事です。地域工務店の経営者が、子や孫に残すべき最大の財産は、建てた建物そのものです。お金は後継者がバカだと消えてなくなりますが、仕事は残ります。
 鎌倉武士は「名こそ惜しめ」と言い合って挙兵しました。地域工務店は「建築こそ惜しめ」と言い合って、これからの家を造るべきです。
 それが地域工務店の経営の要諦ではないか、とわたしは思うのです。
by sosakujo | 2006-11-21 10:57
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