|
以前の記事
2012年 02月2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 最新のコメント
最新のトラックバック
リンク
検索
ネームカード
ファン
|
一昨日、博多から島根の益田に入り、片山和俊先生と合流し、雪舟の二つの庭を見て、車で津和野に移動し、そこで「民家の再生」の降幡廣信先生と合流し、地元の建築家のご案内で市内を散策しました。
津和野は何回か訪ねていて、殿町と町家、森鴎外や西周の旧居、安野光雅美術館や水俣の写真で知られる桑原史成写真館など、見どころはたくさんあります。 今回は、まず永明寺に案内されました。とてもいいお寺で、島根県最古の禅寺です。歴代の津和野城主の菩提寺となっています。永明寺は「ようめいじ」と読みます。茅葺き屋根の本堂があって、寺を囲う緑が鮮やかでした。 境内に森鴎外の墓がありました。 「石見人 森林太郎として死せんと欲す」という鷗外の遺言により、中村不折の筆による「森林太郎之墓」と書かれた墓は簡潔なもので、鴎外その人を伝えるものでした。 お寺の坂を下って、路地を歩きながら、町家の屋根の向こうに青野山が見えました。 お椀のようにまん丸い、きれいな山です。 「この山は、ぼくの子ども時代は坊主山だったんですよ」と、ご案内いただいた津和野の建築家百合本修司さんはいいます。「そうだったんだ」とぼくは声をあげました。 この山は、安野光雅画伯の絵に描かれていて、山口線で通るときも、車で通るときも、いつも目にする山です。意外と標高があって908m、トロイデ式の休火山です。 この山は、江戸時代の画家、谷文晁の『日本名山図会』にも出ていて有名な山ですが、坊主山だったとは知りませんでした。炭俵や肥料に必要だったカヤを育てる山で、毎年一回山焼きされたそうです。山焼きといえば、奈良の若草山や、伊豆の大室山が有名ですが、青野山の場合、独立峰ではあるけれど、シルエット的にはほかの山と重なっていて、緑の濃淡が鮮やかだったことが想像されました。 何度も何度も青野山を振り返りながら、津和野をあとにしたのでした。 益田でのシンポジウムも無事に終えて、一週間に及ぶ出張から、今朝の鉄道でようやく帰途に着きます。津和野を通るときには左側の席に坐って、青野山を見ながら帰ります。 週明けは、いよいよ耐震化推進会議、旅の中で「アピール文」の起草や、プレスリリースの原稿を欠いていました。まだ作業は、たくさん残っています。 by sosakujo | 2010-08-29 06:37 | Trackback | Comments(0)
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||