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森里海の集いで、鳥取の智頭の山に入りました。
慶長年間に植えられたという木が残されていて、立派な木でした。慶長時代(1596年~1615年)というと、秀吉が亡くなって、関が原の合戦があった年です。現在、伐採されている木も樹齢70年もので、目がつんでいて、いい木でした。「choさんの町家」は、平角材(6m材)を用いますので、それをストックしてもらえたら、と考えています。 次の日は、智頭から倉吉の町によって出雲に入りました。200キロ程度あるので、結構、長躯でした。 出雲では斐川の築地松の散居を訪ねました。築地松は、いつも外側から見ていましたので、内側から、じっくり見る機会を与えられ、外側から見るのと、まるで表情が違うことに驚きました。外側からは、レースのカーテンのように、華奢にすら感じられますが、内側に回ると、樹齢150年の黒松の風格があって、感銘を受けました。斐川は、天上川が流れていて、水害の被害にしばしば襲われ、地盤が軟弱で地震に弱い地域です。屋敷林に黒松を植え、その根を張らせることで「人工地盤」をつくり、その上にこの地の人たちは家を造ってこられました。 今回、案内を務めてくださったのは瀬崎勝正さんで、築地松案内人として登録され、この日が最初の案内の日でした。斐川の歴史と、松くい虫との闘いなど、興味深いお話を聞くことができました。 斐川の築地松見学の後、平田町で永田昌民さんが設計された建物を見学しました。ぼく自身は二回目の見学でした。永田さんも駆けつけられ、永田さんの解説つきの見学で、とても中身の濃い見学会になりました。見学後は、平田町の古民家を見て回りました。このあたりの歴史的・文化的な位置が、建物を通じてよく理解され、街道筋の建物は、民家というより町家なのだということを感じました。 見学後は、永田さんを囲んでのトークセッションで、そのあとの交流会を含め、充実した時間を送らせていただきました。 智頭を準備いただいたオオニシさん、 出雲を準備いただいた藤原木材さんに感謝します。
by sosakujo
| 2009-06-22 17:32
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